必要最小限のものは持っていかない | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

何処かに出かける時、近くでもカバンを軽くしようとは考えない。

ショルダーバッグに一日分以上の薬をいれるのは当たり前だし(最低三日分)

調べ物がいつでも出来るように電子辞書とタブレットはいつも携帯しているし、

筆記用具とメモ帳は何か災害でもあれば必要だし、スマホの充電ケーブルと充電器は本当に困ったときにはどうしても必要になる。

それ以外に暇つぶしのための書籍だったり、暇なときに何かを思いついた時用のノートだったり、

最近は俳句を詠むので歳時記は四季全部をまとめたのを携帯しているように、

その時々で取り組んでいることに関連するものをカバンに入れて毎日行動しているので、

他の人に比べるとカバンは常に大きく重い。そしてどう考えても必要最小限、と言える代物ではない。

何処にいても何があっても三日は何とかする、がコンセプトのようなものなので、

詰めて押し込める分だけ積めないとダメだし、カバンのサイズが小さいものは持っていて不安になるからそもそも選ばない。

両手は開けておかねばならないので手提げのバッグは持ちたくないし、まずずっと手に持っていると腱鞘炎か筋肉痛でも起きそうな重さなのと、

手で持つものはひったくられたらかなわないから、肩で支えて簡単に持っていかれないようにしたい。

ショルダーバッグは生命維持装置みたいな物です。取られたら大体のものが出来なくなるようなものの積み方をしているので、

他の人からすればなんでこんな重苦しいものを持ち歩いているのか、とは思われるだろう。

私を突き動かしているのは、何があっても困らないように、と言えばもっともに聞こえるが、

逆に言えばあれも積めてこれも積めて何か忘れ物とか欠品があったら困る、困らないためにやっている強迫行為である。

家から出るときに冷暖房の電源を切ったとか、台所のガスや水道を切ったとか、鍵は閉めたかとか、必死に確認してから家を出るので、

何事にも強迫症はついてまわるものである。カバンの持ち物とて例外ではない。

私の頭の中で「持ち物」と呟けばもう確認の時間である。どうして必要最小限で落ち着くように出来るのであろうか。

誠に遺憾である。