人間なのに人間とは合わない人間(?) | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

そりが合わない人、という定義がどこからどこまでなのかを細かくすると本当にキリはないが、

私の繊細さなら多分大抵の人は私を面倒くさい人間だと思うことだろう。

相性というものがあるか、と言ったらそれはそれでまたキリがないし、言ったら何だが人といると疲れる、大体誰とでも、

とかいう人間に人と関わる自由なんてない方がいいだろうと思う。

何せ精神障害認定が降る程度の気難しさである。競馬なら新馬戦にも出られない。

そもそも私と同じ障害(昔はアスペルガー症候群とか言われてました)の人が診断があるかわからないまま結婚した配偶者が、

後で発達障害と診断され、発達障害特有の対応をされて気に病むことに「カサンドラ症候群」という専用の病名まであてがわれる程度の厄介さなので、

これでパートナーとかいたら多分パートナーがぶっ壊れて意味をなさなくなるだろう、などと思ってなるべく一人で生きている。

多少ぶっ壊れていないと私と張り合えないだろう、と言ったらきっと過言だと思うが、

他人との距離感を踏み違えたらきっと致命傷までいくだろう。自他共にハッピーエンドでは終わらせないような執念めいた物を勝手に感じる。

この繊細な距離感というものを知性で理解してもらえるとは思わないが、わかってくれる人なら簡単に近寄らないオーラを出しているつもりだし、

その様に説明していなくても自分が勝手に孤立するように仕向けているので、よほど鈍感か作業所とかの利用者などで知的な障害でもない限り、

人との間に敷いた細いラインを勝手に踏み越えられないように生きられるなら生きたい。

人間が不器用だと自覚していると、何気ない言動で他人を傷つけていないのかとか心配したり、話が終わって一人になると、

色々思い出して「しまった」と思ったり、勝手に一人で反省会を開いたり、もう後の祭りだと思ったりする。

大体居場所を細かく変えてもこのルーチンは大抵同じなので自然と同じ末路を辿る。

おまけに人間に対して疲れやすいだけでなく、そもそも関心がないとか、繊細すぎて顔を見たくもないと簡単に振り分けられたりする。

何が言いたいかと言われたら「人間失格」の一言に尽きます。ついでなので太宰治の『人間失格』を適度に読むといいでしょう。

あと、お菓子の名前に『人間失格』はさすがにどうかとは思うが実際見かけたのでどうしようもない。

恥が多すぎていちいち書いてもいられないような、犯罪ではないので前科ではないが、札付きとはまた違った一線を踏み越えた感覚はある。

サイコではないが頭のネジは何本か吹っ飛んだことになっているだろう。常識的に考えれば私は他人には真っ先に理解できなくなるだろう。

そんな「生きててすみません」みたいな状態でおめおめと生きているのである。

人からは離れたくなるし、常識はないし、何にせよ許容範囲が狭いし、他人を見ていてほとほと嫌になってくるし、

ついでに負い目ばかりで自分も同じ様に嫌なので自己肯定感なんてものは極めて低い状態になっているだろう。

むしろこの状態で自己肯定感が高い奴ならきっと最高に非常識だろうし、距離感も変なので他人に与える嫌悪感もバッチリ最高潮になるだろう。

そのへんを踏まえた上でなるべく人に会って摩擦をしないように、ひっそりと生きたいので、

なんか交友関係の広い人とは並行でなんか別な世界の存在なのだろうと思いながら過ごしている。

家に帰って誰からの連絡もやり取りもないことに違和感がない時点で異常だとは思うが、そうしないと精神の安定が保てないから仕方がない。

パートナーを作れるほどの精神力がある人もいれば人間の地球での存在自体が面倒だと思う人もいるのです。

誠に遺憾である。