私にとって昔から不良とかヤンキー気取りの人々というのはそりが合わなかった。
そして今でも全然合わない。合わせようとしたらモロに顔に出るので隠しても隠していないと同じ意味である。
発達障害というのは往々にして柔軟性を失っているが、なんか妥協できそうなものとどうしても妥協できないものの間の線は確実にある。
規則に従い、変な事を言ったり今で言うところの「イキる」ような輩でなければ別に落ち着いて対応できるが、
何かにつけて言葉遣いが荒かったり、見た目、服が威圧的だったり、体全体の雰囲気でイキっているのがいると、
落ち着いて作業も出来なくなるし、息が詰まって生活がしにくい。しかしもう雰囲気だけで沢山です、と言ったら気まずくなるので言えない。
仕事とかならわざと生真面目なものを選んでいたからそういうのにはそんなに出会わなかったが、
障害者雇用とか作業所になるとどういうことか結構な割合でイキっている見た目の人が入ってきて、当然話も合わない。
そういう人と会わないで済むような趣味もわざわざ選んでいるし、合わない人がいること自体が既に想定外の出来事なのである。
当然パニックに陥りそうな気分にもなるし、同じ障害者であったとしても個体差は大きいので、
できれば好みとか文化とかでちゃんと分割分離してほしいなどと不穏な事を思う。
文化が異なる人を並べて、そして自分にはコミュニケーションの障害がある。私は怖くなり、無事には済まないのではと思って過ごしている。
下手に口を開けば何かとトラブルになりやすいし、不良の文化というのに理解は全くないだろうから、
もう喧嘩ではないが口も聞きたくない、とか、聞いていて不愉快だ、となっていく。
何というか住み分けはちゃんとしましょう、というだけの話なのだが、自分があまりに繊細すぎるために、
決まりをしっかり守ることになると結果的に孤立する。そういう風に決まっているから。
なるべくしてなるものを避ける、となればもう最初から会わないで済むようなカリキュラムが必要になるわけである。
人間のドロドロとしたところをドラマとかで見るだけで精神的に具合が悪くなるので、
そもそも感情的なやりとりもとても不器用である。自分、不器用ですから。
会わないで済ませられたらどれほど幸せなことでしょう、と自分の美学からして美しくない人が近くに来るたびに思うのである。
誠に遺憾である。