地域の行事とかいうのに絡まれるとおそらく自分は死ぬ | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

おそらく私には地元とかホームとか故郷とかいう言葉に感じる郷愁とかはほとんどない。

故郷に名目上、自分の生まれ育った場所的な意味はあるかもしれないが、その意味でしかない。

精神的なつながりとか、地域性とか、そういう地域が持つ人のつながりや風土的な雰囲気、

人間と土地と他の何かをつなげる要素的な物は私は感じられない。きっとそういう空気を読む能力がないのだろう。

だから、地域社会とか町内会、とか言われても私にはピンとこない。

ピンとこないどころか、進んで村八分にしてくれとでも言うだろう。

私が管理できるのは自分の庭だけである。自分しか触れないから、自分で責任を取ればよい。

しかし公共の場の庭はそうはいかない。責任も生じるし、問題にも触れるし、人と人との間で何かをしなければいけない。

ところで私の障害は「コミュニケーション能力の障害」であるからそういう人の集まりに一番不向きである。

終いには「人と人とのつながりという感覚がわからない」とか言い出すのだから、うかつに人の輪の中には入らない方がいい。

何かトラブルを起こして堂々巡りになり、こじれて問題を更に大きくして追放される。

何かあれば助けに来てくれる障害者福祉的な人がいればいいが、毎回定期的に呼ぶのはとても気が引ける。そもそもお前ら誰だとは言われるだろう。

そもそも私自身なるべく一人でいたい時間を多めに確保するのが命題なので、寄り合いとか会合にいても、

何をしにそこに来ているのかわからない顔と態度をするだろう。決まったことには従うから発言を求めないでくれと。

自分の庭には自分だけがいて問題が起きればどういう形であれ一人で処理すればいい。

誰かに協力を求めるとすれば専門的な技能の必要な事柄、電気やガスなどのインフラだったり、

ちゃんとお金を払って解決する。義理と人情で動くことのできない人間は契約に頼るしかない。

そして適度に狭いが自分がなんとか管理できる場所が、自分の活動の限界である。

自分の庭にはなるべく人は入れないし、入れたくもないし、来るなと触れ回って一人でしかできないことをする。

おおよその時間で、外に出かけているときはそんなに気にはならないが、

自分の庭にいる場合に視界に入る自分以外の人間は精神の平衡を乱す。

自分で自分のことしか管理できない、しかもできているかも非常に怪しいのに、その外の世界、

地域社会というか地域の空気に合わせる柔軟性を欠いた人間を連れてきて何ができますか。

なので地域の誰と誰が何をしたとか、町内会でこういう取り組みがある、とか意図的に聞かないし、

聞いていたとしても聞こえていないふりをする。

自分の庭を踏み荒らされないためには、まず他人の庭を勝手に踏み荒らさない、踏み込まないようにしなければならない。

空気が読めないと踏むといけない物も割とあっさり踏み抜いたり、時折核弾頭並みの地雷を当然のように踏み抜くので、

自分にダメージが入るだけならまだいいが、ついでに地域社会を巻き添えにする。

極論、地域社会からなるべく放置、無視されて村八分の残り二分だけなんとかすればいい、

というかきっとそれしかできない。無理矢理引っ張り出されなければ私も何もしないだろう。お節介をするほどお節介の方向性を間違える。

何か知らないけどしきたりだから呼ばれる、が私にとって一番不向きで困難なことである。

自分以外の人の組織的な仕事の何かをする、というのは根本的に不向きである。役職なんてあったら逃げる。

本当に不器用な人間に出来もしないことを押し付けられても、汚く共倒れするだけですよと声を盛んにして言いたい。

集団生活が無理、という人間も世の中には居るのです。そしてそれが自分自身なのです。

誠に遺憾である。