私は誰もいなくなって静かになった時間から生きている気がする、というと過言かもしれないが、
あんまりうるさいところにいると生きている気がしない。
うるさいと言っても種類があり、私が苦手なのは会話とかの人間の音に関わる騒音である。
人の感情的な声とかが苦手なので、ドラマとか全く見ないし、ストーリーとか気にしない。
大体ドラマの登場人物と自分の思考回路が違う気しかしないので、思想信条の違いという意味でもうるさい。
なので中学校ぐらいでドラマからリタイアした。脳あたりがFIREしたと言っても過言ではないだろう。
そのほかのワイドショーやアニメや歌番組も人の声がうるさくない人畜無害なやつしか見ない。
スーパーとかでも何か店内放送がうるさいとあまり集中できない。どうせなら声のない音楽とか、
呼び込みくんだけを二十台ぐらい並べて延々とループされた方がまだいいだろう。
昔は店内で普通のポップスを流されたときもあったと思うが、それが一番集中できないので困る。
何事もなくても、ただ雑談しているとかでも、何だか落ち着かなくなるときもあるし、
何か考えたいときに一番邪魔なのはおそらく人の声である。
飲み会とかコロナ禍が終わってもそんなに行きたくないが、大体理由はうるさくなるからである。
自分のグループはそんなにうるさくなくても、周囲のどこか一グループがうるさければぶち壊しである。
うるさくなければ酒は飲めないのか。
なので飲み会から省かれても特に気にすることはない。騒がしいと実に健康に悪いからである。
時折謝罪と賠償を要求したくなるような気分に陥る。人間ってどうして静かになれないんでしょうね。
そんなこんなで今までの作業所での活動でも(自称)特別室、という名の雑な暗室のような場所か、施設内の一番端に、
自分を追い込んだことも一度や二度ではありません。自分から飛び込むドアの音、が終わればもう静かです。
何も知らない他人が沈黙をぶち破るまで。
なんでそんな劣悪な環境に、とか言われるかもしれないが、人と人が集まって騒がしい場所の方が遙かに劣悪です。
人の気持ちなんてお構いなく何でもかんでも話をしようとする人間といるだけで私の精神は簡単に削られる。面白いくらいに削れる。
一週間で参って何かと騒がしい集まりとは終日別行動を要求するぐらいには削れます。
話すことがない、とは特に話すお題がないし、話す理由もないし、話題も噛み合わないし、そもそも音量が大きいし、本当に合わせる余地がない。
自分も一回エンジンがかかってギアが入ると余計な話が止まらなくなるので、
できる限りエンジンに手をつけない方が賢明だと思った結果です。
そんなうるさい奴が他人の会話がうるさいと嘆くのである。根本的に矛盾している気がしないでもないが、
うるさいものはうるさい。自他共にうるさいが人に会わなければうるさくなくて済む。
誠に遺憾である。