私は恋愛以外の詩なら書ける | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

私にはおおよそ恋愛という体験がないため、世間の恋愛について書かれた詩や歌に共感できない。

もう少し正確にいうと理解できない。

誰かを好きになるという経験が中学校くらいで止まってしまうと、感情の起伏のない何も変わらないような生活になってしまって、

多分恋人いない歴=年齢だが内情がもっと悲惨なことになっていると勝手に思う。

そんな調子なのだから、恋愛を歌ったポップスに触れても何の事かわからなかったり、

詩や俳句短歌でも恋愛に触れたら何を言っているのか読めなかったり、

何なら自分で作る詩とか創作活動ほぼ全般において恋愛の影も形もない。

書いたとしてもとても形式的であり、少し続けたらこいつ人間関係解ってない、とは確実に言われる自信がある。

体験していない事は空想や妄想で語っても非常に軽薄であり実感がもてない。まさにモテない奴の嘆きである。

ヴィトゲンシュタインが「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」というように沈黙しなければならない。

やったことのないことをどう表現しろと。

半分くらい出家したかのように勉学と趣味に打ち込み、人間関係についてほぼ考慮しないで、

一人でいることが心を保つような状態になっていたから、急に誰かにも会わないし、連絡も取り合わないし、

趣味とか余暇活動も一人で済むものに絞っているし、それについて不服や不満はバンドメンバーが足りない、とかなので、

その内人間関係そのものが非常に面倒くさいものだと感じるようになって現在に至ります。

心配するような人と言えば親ぐらいなものだから、実際親がいなくなればどうなるか分からない。

きっと孤独死上等などと意味不明な供述を繰り返しながら生きていることでしょう。

昨年まで一人暮らしをしていた時まで実際孤独死上等などとほざいていたので、

何も変わらないとも言える。

自分の生きている状態を冷静に振り返れば孤独死以外の結末はあり得ないだろう。

物事には絶対はないが高確率できっとそうならざるを得ない、というかそのように自分でもっていく。


そんなこんなで誰が誰を好きとか嫌いとか浮気だの不倫だのというのは、違う世界の出来事、

私が隔絶された世界にいて、なんか起きている、みたいな感じで呆然と眺めている、みたいなものだろう。

芸能の話題に興味がないのも、極端に言えば人間に興味のない順当な結果である。

走っている馬を見ていた方がどれだけ癒やされることだろうか。