特に何かに憧れるわけでもない | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

世の中には色々な目標があって、特定の人だったり働いて手に入れた物だったり人脈や事業だったりしますが、

毎日を安定して暮らせれば、目標とか憧れとかそんなになくても過ごせます。

というか、この状態で何に憧れれば正当、と言えるのかと思う。

昔は明確にこうなりたい、という目標があって、そこに向かって最短距離を突進してきましたが、

実際そこに辿り着いて、しなければならないことが山ほどあって、周囲との軋轢を重ねて、

仕事も人間関係も実に憂鬱になり、弾き飛ばされて心療内科まで到達しました。

それからは目標を立ててそこまで走る事も、夢を語ることも抱く事も自分の身に応じたものにすることにしました。

実力に見合わない夢を抱くことほど無謀なことはない。問題は上から落ちる高さが発達障害という予想を超える高さだったことですが。

あんまり大学とかまで順調に、阻害するものがなく進んだら、落とし所に困りました(切実)

理想と現実のギャップ、というか、落差が大きくてバランス感覚を失いがちになる。

診断が出てから時間がたった今なら少しは妥協できるが、出立てのころなんて本当に全体的にガタガタだったりした。

自分に病識はあっても、周囲の障害者がそうとも限らないし、

育ってきた環境が違うから好き嫌いどころか文化の断絶とか絶壁を感じて一人で進むしかなくなる。

運が悪いのか自分と趣味や教養が合う人なんて本当にごく一部である。

自分の人間性に問題があるから何か新しく趣味をしようとしても自分がネックになる。

迷惑をかけると分かっていて人間関係を構築しようなんて罪と罰を重ねるようなものである。

できればもう憧れも一人で片付けてしまいたいし、他人も巻き込みたくない。

そんなことを考えていたら趣味とか一人で片付けてしまえるものにまとめて、

別に他の人がいなくても困ることのない生活サイクルを築くことが大事である。

あとは密室の中でやるべき事をやっていきたい。一人でもするべきことは沢山あるのです。


それでもなんかやる事をやりきってする事がなくなるかのように居なくなるのはないかな、と思う。

田宮二郎のように演じる役がなくなって生きる意味を失う、みたいなのだけは避けたい。

適当に生きるゆとりとそこはかとなく生きる意味があればそれでいいのです。