年の暮れでも事件は待ってはくれない。
こういう不可解な事件が起きるたびに、「精神鑑定」とか「家庭状況の調査」とか色々言われるし、
特に人の死に関わるようなことになると犯行が正常な精神状態のもとで行われたのかも争点になるので、
当然のように「精神鑑定」は選択肢にかけられるのであるが、
なんか精神鑑定という言葉が勝手に歩いて行きおかしな行動をするのは大体精神に異常のある人、
というスティグマを張られるようであれば、ステレオタイプというか先入観というか、
心がおかしい人「だけ」が事件を起こす、というような間違った流れになりかねない。
確かに衝動的、猟奇的な事件に関しては精神の正常さも加味されるだろうとは思うが、
正常な精神状態の元計画的に行われる犯行の方が別な意味で恐ろしいと思うのは気のせいだろうか。
よく西村京太郎とか推理小説の読み過ぎ、とは言われるけれど、
ロジックで理論的に、感情とかを一切表に出さないで計画的にザッとやられる方が自分には怖い。
大体そういう犯行ほど、表情や計画性を出さずに遂行されるものであろうから。
今は精神に多少以上があっても量刑にはそんなに忖度されず、
忖度されたとしても精神病院に行き簡単には出られない状況になるから、
というかそうでもしないと平和を確保できないというのも酷な話である。
精神科とかの話で、精神病院を減らしたり、入院期間を短くしたり、もっと地域と交流すべき、
とかいう欧米とかの話も出てくるが、本当にヤバいのだけは本当に外に出さないで欲しい、
と大体の人が思うのはあながち間違いではないだろう。自分もそう思う。
自分も精神に偏りがあるからには、そういう人と接触して精神が引きずられないか心配にはなるから。
今回の事件が何処までそういう精神科的な結論になるのかは一切わからないし、何もないかもしれないが、
家庭状況とか事件までのやりとり(事件前にあった車の損傷とか)の惨状を見るに、
何もないでは終わらないだろう、という先入観を自分も抱いているのがわかる。
怨恨でここまで行くか、とは自分でも思うし、世の中は不条理だらけである。
先入観なんてない方がいいのかもしれないが、あまりに状況が状況だと察しなくてもわかる、
とかしたり顔で言いたくなる人が増えるのもわかる。
そしてそこにマスメディアは火種を放り込んで去って行くわけである。とても無事では済まない。
「つけびして事件喜ぶ傍観者」、みたいに断片的な情報をぶち込んで火種を絶やさないようにするから、
週刊誌等が確証のない話を娯楽のために尾ひれをつけて喧伝しないかが気がかりである。
あんまり罵詈雑言のような記事ばかり出すと「よく喋る!」とか言いたくもなる。
何か事件ってもっと静かに解決できませんかね。