どう考えても訳の分からない勇気(と覚悟) | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

結局今までもこれからも、私が一番怖いのは人間関係構築能力が低い方なので、会話中に何かヤバいことになり、

あれこれ揉めた挙句、勝手に家まで直接押しかけられて危害を加えられるような何かをされることである。

住所なんて教えたこともないのに勝手に家に来られるなんて恐怖以外の何物でもないだろう。

信頼している人、福祉関係者には必要に応じて個人情報を伝える。障害者福祉の支援等には必要なものだからである。

しかし、福祉に関係のない人には個人情報を伝えたくない。何かのはずみでも知られたくない。

健常者でも障害者でもその辺同じだと思うが、実際障害者にあれこれ言うのは普通より博打に近いものはあるだろう。

そういう自分もあれこれ精神的に不安定な時もあるし(ただし相手に直接かちこもうとは思いませんが)ゆっくり過ごしたいが、

変な空気を撒き散らす人々には小言の一つでも言ってしまいたくなるものである。

別に何も言わないで済むならいいですが、あれこれ言われて我慢するには限度というものがある。

なんか自宅に防犯カメラとかその辺の証拠集めの設備とか欲しくなったりするくらいの意味不明な覚悟など、

特にしなくてもいいに越したことはないが、あちこち火種を撒き散らす人が相手だと対策をするべきではある。

物や心を壊されて相手からすみませんの一言で済まされるものか、と思うからである。

今の状態は被害妄想が順当に膨らんでいる結果だろうが、変な覚悟を決めていつもと違う判断をして、

ネジを巻き直そうと考えるなら少しくらい変な覚悟は必要であるだろう。今ある問題をこのまま放置することの方が害悪である。

当然周囲には今までの周囲の行状や発言は伝えてあるし、色々対策もしていただいている。

外堀はある程度埋めにかかって、探偵のごとく、情報と証言と物証をなるべくかき集めておきたい。

自分だけ隠れてじっといているわけにはいかない。過激にではなくとも何か動かないと変わらないのだから、

恐れたり怯えたりしているのだけはいけない。

その辺の前に進む勇気、だがいつも勇気が必要、というのではなく、動くべき時に動けるだけの勇気があればいい。

その気力すらなくなったなら多分重度のうつ病か適応障害か不安障害なのだろう。医師ではないので診断はできないですが。

とりあえずその勇気も自分が弱気なので溜めるのには時間がかかるし、適当にぶっ放せば単なる癇癪である。

然るべき時期に、然るべき場面で、効果的なところでやらないといけない。

単独で戦えるほど自分は強くないのはこれまでの人生の結果で証明済みである。そして多分これからも一人ではとても戦えない。

何とか同じ意見を持つ人を増やしておかなければ物事は進められない。地固めはしておかないといけないだろう。

自分が対人関係を構築するのはとても苦手(というかそれが主症状の障害)だが、だからと言ってやらないわけにはいかない。

一人で囲まれるのが一番まずいからである。

感覚的に価値観が合わない人が妙に自分に馴れ馴れしい、とかアイデンティティのクライシスである。

私は私であるという意志は保ちたいのである。