田舎に帰ると知り合いのいない所に行きたくなる | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

田舎に、実家に帰る事の自分にとって最大のリスクとは、昔見知った顔に会う可能性がある事である。

どこかで活躍して故郷に錦を飾る、などという願望とは程遠い、

社会人として働いた挙げ句、対人関係にトラブルを頻発し、

何か怪しいからと発達障害の手引き書を開いたら自分がいた、とか、

そしてその勢いで精神科にかかったら案の定広汎性発達障害でした。

ついでに対人関係でダメージを背負い二次障害もついでにこじらせたので、積極的に人と顔を合わせたくない。

それが昔知っている顔なら尚更である。何が悪いかと言われたらものすごくバツが悪い。

顔を合わせる前にそういう資格がないのではないか、などとは日頃よく考える。

学生のころは発達障害とかいう概念を知らなかったので、今思い出せば引っかかる心当たりしかない。

親の健康が心配になる年齢になったので大人しく実家に帰ったが、

実家は田舎なのでどうあがいても顔見知りに会う。会わざるを得ない。

人のとても多い都会なら人口という人混みに紛れ込むこともできるだろうが、

精神的に盾になるような人間もいないような田舎である。メンタル的には居心地は悪い。

悪いからつい引きこもりたくなるが、そんなことをしている場合ではない。

できれば実家に帰る前の水準で可能な限り作業所に行くとかしておきたいものである。

でもできれば(2回目)顔見知りや知り合いのいない場所で働きたい。

田舎は仕事そのものが少ないから、ガチャを振る感覚で作業所を探して知り合いと顔があったら、

自分が悲しくていたたまれない。作業所の選択肢自体が少ないから2、3回外れればもう地獄を見る。というか1回見たし。

新型コロナがなくて、親の持病がそんなに重くなければもう少し実家に帰るのを遅らせただろう。

高校生くらいから心の奥底に人のいない所に行きたいとか、山に篭りたいとか思うのは、

今になって緩やかに線となって繋がって、自分を恥の塊だと思わせる。

太宰治の『人間失格』の冒頭、恥の多い人生を送って来ました、というのがグサリと刺さる。

私にも人間の生活というものが、さっぱり見当つかない。色々なつながりが自分を叩いてくる。

異世界転生とか、リセットとか縁起でもないものが流行っているが、

できれば自分を誰も何も知らない場所に行きたいと思うのはそんなに間違いなのだろうか。

他人は全部何も悪くないことはないとは思うが、とことん自分が悪いとは思っている。

措置入院、とまではいかないが、世の中とほぼ全てを切りたくなるような心情になった時、

本当に私はどうすればいいのか。