老眼という老い | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

最近近くのものを見る時にピントが合わせにくくなった。

メガネも十年ぐらい同じものを使っているから、コーティングが剥がれているなどロクな状態ではないが、

普通に考えて四十代寸前で老眼に入るのも非常に妥当な線だろうと思う。

ヒゲもいくらか白くなってきたし、確実に加齢による身体の劣化は始まっているのだが、

実際に五感に影響が出てくると、本当に老いたのだということを嫌でも実感する。

まだここが序の口なのだ、いずれ本格的にピントが合わなくなって老眼鏡の導入も本気で考えなくてはならないだろう、

大体裸眼の視力が0.02以下に乱視というような、今ここでかけている眼鏡を外しさえすれば、

弱視者の視点に簡単に切り替えられる時点で、マトモな老い方はしてくれないだろう。

なお父親の視力はもう一桁下がるので、当時の技術を鑑みてもプラスチックレンズという選択肢がなかったわけであるから、

まだプラスチックレンズで何とかなるだけいいのかもしれない。

とりあえず矯正具がなければ物理的に死ぬだろう。眼鏡のない生活は想定できない。

よく小学校に入るまで0.1の視力で眼鏡を掛けないで生きていたと思う。

そしてそんな人間も順当に成長して、順当に老いるのです。何らかの障害者だろうと何ら例外はないのです。

人間の宿命です。

生きているって一体何なんでしょうね。