生きるという苦しみは何処まで感じないふりができるのか | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

何が辛いか、とか言われたら素直に「生きているのが辛い」とかまだ言いそうにないが、

本当にあれこれ貧窮するようになったら言うようになるだろう。

具体的に言えば両親がいなくなった後からそういう風になりそうな気がする。

 

人間生きていたら死ぬのが定めのようなものだが、別に障碍者だからといって何ら変わりはない。

むしろ障碍者のほうが本当にあれこれするにも辛すぎるのを、福祉の研修やら障碍者に関わるボランティアをやって思ったものである。

まあ自分も障碍の範囲の中にいるのを知ったのは実際に仕事をやり始めてからでしたが。

ただそれでも無駄口を叩けるだけでも、もう寝たきりとか重度重複の知的・身体障碍とかの、

定期ケアが必要で、看護がないと死ぬ状態で身動きが取れるレベルではないのを見てしまうと、

普通に立って歩いて頭の中で言葉を考えられるだけ自分の障碍なんて軽いものだと思ってしまうものである。

マウントなど取りたくもないが、本当に人間の存在意義とは一体何なのだろうとは思う。

 

さだまさし氏の『防人の詩』とかで、「生きる苦しみと、老いていく悲しみと、病の苦しみと、死にゆく悲しみと、今の自分と」

とか歌われるとやっぱり虚しくなる。自分が結構生きてきて祖父母が全員いなくなり、

親は病気というかペースメーカーを入れるようになったり、それでなくとも色々衰えは隠せないようになったが、

急に何かあってもおかしくないという心の覚悟だけはしておかないと、とは思う。

すぐ前に書いたように、これまでの介護研修や福祉ボランティアで障害者施設に行き、

なんか虚空を見つめているような人を見たり、自傷や支離滅裂な発言や行動をしたり、

食事、入浴、リハビリの介助をする人がいて、ケアを受けて何とか生きているような人々を見てしまうと、

自分が生きていることも何だか虚しくなる。

同じ生きるということなのに、この差は一体何なのだろうか、と。

そしてそれを見て世の中を嘆いていた自分も気がついたら障碍者の中に入っていました、と。

病理的には生まれたときからすでに入っているような状態なのですけど、

そこは知力でカバーしてある程度外にはバレなかったようである。結局バレましたが。

 

世の中確かに苦しいことばかりではないが、明るいことばかりがあるというわけでもない。光と闇は共存するものである。

24時間テレビのように一部の活動だけを見て明るいというイメージを植え付けるのもなにか違和感があるし、

だからといって一日障害者施設に密着でもすれば、人間の暗部を見ているような気がするだろう。

そして自分は騒音が迷惑にならないような場所で『防人の詩』を絶唱して心の虚しさを何処かに置いていきたい。

いずれ強制的に思い出さなければならない日は来てしまうだろうが、まだ離して置いておきたくなる気分である。

 

死なないように生きる、とか言われて問答無用な手段を選べないのが障碍者の辛いところである。

問答無用にやって万が一出来ていたら、それもう障碍者じゃないんじゃないの、とは思う。

そこまでやろうと思う気にすらならないレベルまでしか行けないから、大体の人生は苦しみである。

このやりどころのない悲しみをどうすりゃいいの。