最近「このマンガが無料!」とか「このマンガがオススメ!」とかで出されたマンガをチラ見することがあるのだが、
たとえマンガが客観的によいものであっても、中身が人間の暗部を書いたようなものとか、
不倫とか浮気とか所謂スキャンダラスな内容になると、面白い面白くない以前に精神的に具合が悪くなる。
昔病院の待合室で診察まで待っていたときに、ちょうど悪くそのころあった所謂昼メロを流されて、
むき出しの感情による愛憎劇を演技過剰で繰り広げられたときには、病院に来たのに更に具合が悪くなった。
そんな人間が似たような中身のマンガで具合が悪くならないはずがない。
小学校の時ぐらいから「ドラマなんて何が面白いのだろうか」とか言いながら、お茶の間から逃げ出していたから、
まともに見たドラマなんて二時間ドラマか古畑任三郎(というか多分推理物)ぐらいなものだろう。
その他の悲喜交交のドラマなんて、こう、感情の波が寄せては返すたびに精神的に具合が悪くなる。
なぜ人間はもっと平和でいられないのか、などとドラマを見させられるたびに思ったものである。
人間の暗部を見ないし、見ることも出来ないし、見た所で何のことかわからないような人間に、
複雑な感情なんて過剰に見せても、かえって具合が悪くなるだけである。どうしてこんな物を見て楽しむのか。
それが分かったような気になったのが、自分に「自閉症スペクトラム」という診断が下ってからである。
なんというか、最初から感情の複雑なものが読み取れないような人間だったら、
複雑な感情そのものを出されても読み解けないから、そりゃ何も面白くはないでしょう。見るだけ苦痛というものである。
何が起こるかわからないから面白いのがドラマというのであれば、自分の体質には確実に合わないだろう。
共感性がないと言われればそれまでだが、受け付けられないものを無理に受け入れても怪我をするだけである。
当然ながら我が家のテレビはゲームを映すだけの置物状態である。
精神的構造が異なるのであれば、面白いと感じる部分が根本的に異なっても、何ら不思議ではないだろう。
それも感情の表現が良いとか悪いとか好きとか嫌いとかではなく、
違う方向の「わからない」が根っこだから、浮世離れを起こしたり、厭世的になったり、
出家願望とか人間離れを起こしたとしても、自分にとってはある意味必然である。
精神的体質に合わないものを直視させられるほど具合が悪くなるものはないだろう。
「育ってきた環境が違うから、好き嫌いは否めない」とか言いますが、どこかはわからないが脳内の環境が違うなら、好き嫌い以前で、
根本的な価値観の共有まで出来ないレベルとかまで行ってしまうのだと思いました。
自分がいくら年をとっても、人間の感情が煽情的なものほど、よりいっそう理解できないということは一向に変わりはない。
ちなみに小説は読んでいる最中に勝手に倫理コードを脳内でかけるので過剰なイメージを取っ払うので、
案外何とかなったりしますが、流石に恋愛小説とか露骨なものには触れません。
実物でもマンガでも、目に見えてしまう人間の顔の方が、個人的にダメージがデカくなるものなのです。
マンガだろうとドラマだろうと、街中で目にする光景であろうと、感情をむき出しにすればするほど、自分は遠くに行きたくなります。
まあ浮気とか不倫を見かけるような日常の場面はないので、もし見させられるとならばマンガかドラマでしかないと思いますが、
そのあからさまな非日常が根本的に受け付けられない人間もいるのです。
そして、だからといって自分が善人でもないというのがさらなる悩みどころなのであります。
善人だったらちゃんと正面から問題に向き合うし、具合が悪くなったりしないと思います(意味不明)