去年もだいたい悲惨な感じだったが、今年も別に新型コロナウイルスの感染者が減ったとか劇的な解決方法が見つかったわけでもないので、
6月だからといってジューンブライドとか言って式典をしようと思ったら、
何らかの感染予防措置上できないとか、会場が三密になるのでできません、とか言われるのも悲しいことである。
別に友人がいるわけでもないので、冠婚葬祭には滅多に呼ばれたりはしない、というかまず呼ばれる機会もないのだが、
縁起がいい時期に何かをしようと思ったときにできないというのは、これも新しい生活様式、なのであろうか。
今まであまりにも定番でベタな内容でも、現状新型コロナウイルスのワクチンの接種がうまく行って、
接種の後に何も起こらず、なおかつ強い毒性をもつウイルスに変異しないことをお祈りして、
いくらか時期が経って本当にウイルスの流行が落ち着いてからようやく再開できる、とか、
正直運ゲーに近いものがある。こんなものどうやって乗り切れというのか。
別にプライペートの出来事ではなくても、お祭りとか行事は軒並み延期や中止になったり、
やるとしても大幅に縮小したり、人が接近しないように変更して行われる羽目になる。
それも去年もだったし、おそらく今年もそうなるだろう。
あんまりはしゃぎ回るような祭りなんて個人的には無いほうがいいのですが。
別に行きたくもない祭りに「生活のための通り道にあるから」だけの理由で巻き込まれるのも勘弁である。
何かもうこんな世の中になれば、むしろ何も起こしてほしくないように願う。
静かに忘れられたように暮す権利というものが欲しくなってくる。
はしゃぐ権利があるとするならば、静かにいられる権利も同等に認められなければならないと自分は考える。
そうでなければ単なる横暴というものである。
去年はそもそも自分が何処かで音楽活動をする、という予定がことごとく中止になったので、
集団でやっていることをほぼ何もしていないことになる。それも今年も同じ様になるだろう。
明るい展望、というものが見えるのであれば今すぐ聞かせてもらいたいものだが、生憎そんなものはない。
ないものはないのである。
流石に昭和天皇が危篤に陥った時のようなこれでもか、というほどの過度な内容の自粛、までは行かないと思いますが、
かと言って広報やマスメディア、街頭の放送やポスターにまで危機感ばかり煽られるのも精神的に疲れる。
そして自粛するのに疲れたからと言ってやめることもできないのが、今回の自粛の辛いところである。
文字通り先が見えないので、身構えていなければならないが、ずっと臨戦態勢で身構えていられるはずもない。
24時間戦えますか?と聞かれても、無理なものは無理である。
もう籠もれるなら籠もらせてくれ、と言いたい。