毎日のように自分の思考とか嗜好とかを白日の下に晒すと、何でそんな公開処刑をするのか、とか言われそうだが、
率直に言えることは、書かないと生きている気がしない、ということである。
今年もホワイトデーは何も返さなくていいので非常に気楽です。
というか作業所自体で物の贈答を禁止されているため、プライベートで人間関係のない人間には、
何処にもヴァレンタインデーで活動する余地がないのです、というようなことを一ヶ月前に書いたが、
実に書いたとおりになっているので、本当にイベントのない一日、ということになる。
贈答品とか何を贈ってよいのか、などと考えると、考えが堂々巡りになって結論が出せなくなり、
優柔不断を最高にこじらせているから日常生活にまで支障が出る。
要するに普段からわざと何も起こらない状況を敷いておかないと、自分が動けなくなる。
真っ先に時事のイベントを真横に押しやって、自分が通る道を作らなければならない。
昔の玩具でチクタクバンバンとかいうパネルをずらして機械が道を通れるようにするような物があるが、
必死に何もない道を選んでそこまでパネル、というかイベントの選択をして、
可能な限り何もないような道を真っ直ぐ進めるようにしておく。
何かを贈るとか、贈られるとか、気持ちも込めて物をやり取りしましょう、とか言うけれど、
正直何を贈ればいいのか、とか贈られてどういう顔をすればいいのかとか、さっぱり理解しかねる。
愛想とかが欠落していると、思っていることがすぐに顔に出て良くない。
その辺自分はものすごく悪い意味で素直なので、苦いものを食えば苦い顔をするように、
欲しくないものを貰ったら露骨に顔に出るだろう。取り繕うことができるか、と言われれば、
表情は何とか出来るかもしれないが、その後の会話で取り繕えなくなる。
想定外のものを贈られると、言葉を失う、本当にどのように反応していいのかわからない、という意味で。
その顔を白日にさらされると、まあ、社会性はないですよね、となる。必然的になる。
割と本気で返答に窮するので、私が最高に喜ぶプレゼントは何も贈ったり、贈られたりしないことなのかもしれない。