よく自己紹介欄のところに精神科の病名をズラズラと並べる人がいるが、
正直それは一体どうなのか、とか思う。
そういう自分も自閉症スペクトラムということを明らかにしてから文章を書いていますが、
当事者としてやむなく公開するものであって、
時折二次障害の事も書きますが、特に自慢するようなことではない。
むしろ自慢してはならない。一体そこに何の価値があるというのですか。
障碍の当事者がどんな事を考えて、どういう生活をしているのか、
言わば自分の障碍の一例としての思考実験の場、みたいなことをしているが、
同情されたいからとか、何らかの憐憫を持たれたいからとかということを意図したものではない。
でなければわざわざコメント欄を封鎖したりしない。
自分で感情的なところの不器用さがあることを知っていて、
まともにやり取りできる能力や気分がないからこそ、あえて封じるのである。
そもそも自分は感情の微妙なところ、他人に気分を合わせたり、
相手の気分を推し量って発言するとか、いわゆるコミュニケーション能力がガタガタだから、
病名をつけて離すだの隔離するだのしておかなければならないような気がする。
今までそれで自分や他人にどれだけ問題を起こして(荒らして)きただろう。
少なくとも同情に値する人間でないことは確かである。
病名を並べるのは、だから甘く見てくださいとか、同情してくださいとか、
そんな雰囲気が空気が読めなくてもそこはかとなく理解させようとさせるから、
そしてその部分は自分の扱いきれない感情の微妙なところの最たるものであるから、
余計に触れるわけには行かない。
同情に値しない同情なんて見たことがない、とか言われるとは思うが、
多分自分の同情とはそういうものである。
同情したつもりがその勢いで導火線に火をつけた、みたいなことをやりかねない。
それなら最初から何も関わり合いにならなかったほうがお互い幸せというものである。
距離を取ることで、言葉をかわさないことで最善の結果になる、とか自分なら言いかねない。
そして近寄られてもどうやって反応したらいいのかわからないから、
結局同情しただけ無駄になる、ということになりやすい。
人間関係がないのも当然の帰結、と言って差し支えないだろう。
だから病名をダラダラ並べても自分にとっては何にもならないし、何の解決にもならない。
積極的に見せる人は一体何がしたいのか、感情的に理解できない。
ただ弱点を曝け出しているようにしか見えない。