傷つけるほどもない表情 | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

私にとって人間関係のあるプライベートというのは非常に重荷である。
人間関係のないプライベートが一番気楽である。
あれこれ感情問題で気が揉めるくらいならいっそ無い方がマシだろう。
孤独死まっしぐらだとは思うが、精神をすり潰して死期を早めるのとどっちがマシだろうか。

よく障碍者の表情筋は鍛えられていないから顔が幼く見える、とか言われるが、
人間関係がなければ鍛えようがないし、あっても維持できないのならやっぱり鍛えようがない。
精神的苦悩が即刻日常生活に支障を来すようでは険しい表情などやりようがない。
味のある顔とかダンディズムとか多分相当に縁遠い領域なのだろう。
なので年齢通りに見えない、若く見える、と言われるのが褒め言葉なのかもよくわからない。
人間関係が無い方が確かに気楽ではあるのですが。

自閉症スペクトラムと診断される前の人間関係を続けることが出来たならば、
多分相当に険しい表情のできるくらいにはなっていたことだろう。
ただし自分の精神がどれだけ削れ、どれだけ人間性が失われているか、捧げられているかは想像がつかない。
それだけ人間関係が負担になるような状態なのである。
実際人間関係を築こうと思わないほどには人間関係が悪化して、人間不信になったりもした。
精神が凹み続けるのを健康だとは言わないだろうと思う。

私には人間というのはよくわからないものであるし、わからない方が平和なのだろう。
それが私という人間の限界である。