自分を守りたいときに、自分だけの空間に入ることの出来ない、
あるいは全ての他者から隠れることの出来ない人間というのは、根本的に不幸だと思う。
家庭とか誰かが集まる空間、というものに憧れを感じないわけではないが、
何処かで必ず一人になるようにしないと不安で仕方がない。
人の心を読めないものが無理して読もうとすると、数倍疲れることになるし、
そこまでの労力を費やして読むことが出来るのか、と言われれば、
そうではない、と答えざるを得ない。
万全を尽くして尚撃墜されるのである。
人の関わりであれこれハンデを背負っているのに、人の心が安らぎになるだろうか、
差し伸べる手すら怪しく見えてくるときもあるから困る。
その点、一人でいることが保証できれば、誰からも関わられないし、
やることさえ守れば秩序は守れるのだから、
特に一人でいることを孤独だとは感じない。孤独って何でしょうね。
一日中、大体一人であるけれども私は孤独ではない(譫言)
一人であることにこれ以上ない充足感を感じれば、
わざわざその状態にネガティブな言葉を与える必要もない。
リスクは孤独死だけである(意味不明)
そして一人である状態から誰か関係を求めて動く必要性も微塵も感じられない。
この秩序ある空間を乱す何者の侵入も許してはならない。
私にとって自分の部屋の意味づけとは、極めて重要なものである。
それによって精神のあり方が上下左右される程度に。
たとえ一人になっても部屋に来る客が多ければそれは一人でいることにならない。
率直に言えばありがた迷惑である。
他人と不必要な時間まで一緒に過ごすことで、精神の何かが削れていくのである。
私の心の中で音を立てて。
極論、自分を守る一人だけの空間、というのは、自分で自分を守ることの出来る唯一の空間である。
なければ色々な意味で死ぬ。
誰かに守ってもらっても、それは安寧とは言わない。
人に気を遣っているだけ負い目を感じてしまうからである。
心の機能が不全で誰かに迷惑をかけているのに、
果たして自分は守られていいのだろうかと自問すればきりがない。
自分を守る資格があるのは自分だけ、というのは、これ以上、上にも下にも人をおきたくない、
というなんとも凸凹な心の表れである。
当然ながら自分が他人を守る資格なんてないと思っている。ない方がいい。
ない方が自分も安心できる。自分のことに関わることが出来るから。
何故人は必要以上に人に関わらなければならないんでしょうかね、
と、その辺を歩いている普通の家族とかカップルとか学生の群れを見ながら思う。