最近ふと思うのは、障碍者就労とか言って、無理矢理健常者の中に放り込まれるのは、
果たしてお互いに幸せであることなのだろうか、ということである。
確かに作業所での収入は微々たるものであるし、ちゃんと収入があるに越したことはない。
ただ、心をぶっ壊してまで、その収入は得るべきであるものか。
基本的に自閉症スペクトラムの人間というのは心の発達が凸凹である状態、
心の裏を読んだり、空気を読んだり、色々気配り等が不十分な状態である。
そんな未熟なままの心など、下心のある人間が弄ろうと思えば簡単に弄れる。
それ以前に障碍者と健常者という違いが、心構えというものを予め決めてしまうだろう。
主にマイナスに。
で、やっぱり弄られる未来ばかりが見えてきてしまう。
大人の心理、とか大人の心遣い、とか所謂「大人」というものを、
背伸びしながら憧れるような時代はとうに過ぎ去り、体と知識の量だけは大人になって、
そして肝心の心を何処かに置き忘れてきた。
それで収入を得ようなんて烏滸がましいとは思わないかね、とかなんとか言われそうな気もする。
正直に言えば、障碍者が一般就労を目指すというのは、
温室に置かれた植物を外に出すようなものだと思っている。
雨と風と温度から守られた空間から庇護の何もない空間にほっぽり出されるのである。
個人的にはほんの一部しか生き延びられないだろう、とか勝手に思うが、
実際どれだけの障碍者が無事に勤め上げられるんでしょうかね。
障碍者と健常者の差異というのは、障碍者就労の永遠に解決しない問題であると思う。
違うから問題になる、ならざるを得ないのである。
そういう訳で(どういう訳だ)障碍者の作業所に入るという妥協をしなければならないが、
B型はそもそも最低賃金が存在しないレベルなので、
(B型はまず通うこと、生活にリズムを作ることが目的なので賃金は二の次です)
それなりに対価を得ようとするとA型(こちらは最低賃金は守られます)になるのだが、
問題はそんなに長い時間働ける訳ではない、ということである。
大体二~四時間が定番となっている。
最低賃金で四時間となると収入が少々心細くなる。
これに年金を足して、大体ギリギリでなんとかなるレベルになるが、
最近は年金の申請もきつくなっていると聞いているので安心は出来ない。
賃金もベアとか変なことを言っている余裕はないのでまず上がらない。
なので四時間を延ばすようにしたいのだが、そこが簡単に出来れば苦労はしない。
福祉雇用ならば、障碍者同士、変な心の機能を使うこともなく仕事だけに取り組めば、
精神がすり減る割合も減るので、心にダメージはそんなに受けない。
健常者の波にもまれるより格段に平和である。
この時間が延びればいいのに(切実)
そうしたら健常者の輪の中に入り込もうとか何かしてやろうとか変なことも考えずに済むのに。
これが一般企業に勤めて見ろ。まず下の方に置かれるのは間違いない。
障碍者同士ならそれなりの場所にいられるのに。それなりに成果を示せば重用されるのに。
その安寧を捨てて何を求めるのか。
とまあ、世の中は微妙に生きにくいので困る。