障碍者ともなると、なんとなく長く生きるのも気が引ける。
劣等感を丸出しにするのではなく、劣等そのものを丸出しというか、
垂れ流して生きているようなものだからである。
健常者よりも生きることに後ろめたさを感じるというべきか、
夭折してしまった方々に対してなんとも申し訳ないというべきか。
生きていることそのものがコストの塊である以上、
「生きていてすみません」とはそこはかとなく思いつつ生きている。
かといって今すぐ死ぬとか、そういうのも耐えがたい。
耐え難きを耐え、忍び難きを忍んでも、
プライドを焼き払ってでも生きなければならないような本能が叫ぶのである。
「自殺だけはやめとけ」と。
だから大病にかかればおとなしく退場すればいい、と思って生きている。
下手に体を切り開いて生き長らえたとして、捨てた体の分のリスクは確実に背負わなければならない。
パターン化された生活からパターンを引っ剥がせば混沌と阿鼻叫喚しか残らない。
長生きするのと無理に生きるのとは違う(譫言)
この世にいることでなにかよいことでもあれば、それはそれでありがたい話だが、
よいことだけが人生のすべてではない。
人生における一番後ろめたい出来事が死と障碍である以上、
長いお付き合いというか死ぬまでその意識と付き合わなければならないのでございまして。
と言うか別に障害なんてなくても、人間として生きることが一種の不幸なのだと。
兎角、この世は生きにくい。