「生きるのがつらい」とはあまり言わない | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

恥の多い人生を送ってきました。
…とか、いきなり『人間失格』の言葉で始めるのもどうかと思うが、
生きているのはそんなに楽じゃない。
周囲の人間が「生きるのがつらい」とか言っていたら、
たまに「じゃあ自分と症状そっくり入れ替わっていただこうか」とか、
自閉症スペクトラム当事者が考えていてもそんなに不思議ではない。

こちらは「できないこと」を「できないままで」延々と悩まなければならないのである。
解決するはずの問題が実は解決できなかったから悩みの種が増えるのである。
そこを乗り越えて「つらい」という人と、できないことができないままで「つらい」というのと、
発する言葉は同じであるが、中身はてんで異なるものである。
一体何が「つらい」ものなのか、平行線は交わらないままに過ぎていく。
「つらい」の次元が異なるものなのに、安易に「つらい」とつぶやけば、
受け取る側の精神レベルによって「つらい」が解釈されてしまう。

実際自分の場合、他人と関わることを深めようとするから人生がつらくなるのであって、
そこを求めなければ、公的サービスの範囲内で案外なんとかなる。
一人であることがほとんどだが、それでつらいとは思わない。
自分の心の能力をはみ出したところに目標をおくから人生が余計につらくなるのである。
つまりはみ出さなければそんな深刻に抱えるような悩みはほとんどなくなると。
別に経済的に豊かでもないし、交友関係も全くない。
だがそこは特に「つらい」と言い張るような問題ではない。
だから今は案外つらくないのかもしれない(意味不明)