そういえば年賀状を書かなくなって何年経つだろう。
障碍者手帳を貰ってから年始の挨拶というのが心底煩わしくなって、
書くこと自体をやめた。
虚礼廃止、とかなんだかんだ理由をつけようとするが、
結局の所「年賀状は本当に必要な事柄なの?」という質問の答えが、
年賀状を書かない、という結論なのだから、
他の人からすれば閉口するような気分になるだろうとは思う。
思うのだが、年始の挨拶をすることに何ら意義を見出せないのだから、ある意味仕方がない。
最近は年賀状の売れ行きもそんなに芳しくない、とも聞いているが、
今や色々な通信手段があるというのに、年賀状に固執するというのも何となく違和感がある。
尤も自分は年賀状以外にも何も使っていないんですが。
わざわざ挨拶するような人間なんていませんよ。
別な表現をすれば、年賀状を書くことはともかくとして、
他の通信手段でも年始の挨拶が楽しみになる様な人間が誰もいない、ということになる。
楽しければ義務でも何でも自然に書くでしょうに、と思う。
責務というか、砂を噛むような感覚で書く年賀状に、年賀、という意味はあるのだろうか。
本心からおめでたいと思わないようなことをやっても仕方があるまい。
「明けましておめでとうございます」とは何か。
みんながみんなで盲目的にやっていることに追従しても何にもならないでしょうに、
と、年賀状の売り子とか特設コーナーを黙って通り過ぎながら思う。
まあ完全なへそ曲がりなんですけど。