ゲームの終わり | 隠者の庵

隠者の庵

自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

最近ゲームもスマホさえ持っていれば最悪課金しなくても何とかなりますよね。
順位?気にしない気にしない。
気にしたら負けである。

最近自分がそれなりにやってきたスマホのゲームがボチボチ終了していくのを見るので、
まあ時代の流れかな、と思う。
古臭いインターフェイスのゲームが駆逐されるのも時代の流れである。
というか絵だけで人を釣ろうとしてもいけませんよ。
まあ若干課金するときはしたんですけどね。
ただ、イベントも何の変わり映えのないものを繰り返し繰り返しやっていたのでは、
何となく終わりそうな雰囲気だけはやんわりと伝わってくるものである。

そういう時にコンソールとか形に残るものとか、何ともありがたいと思うのです。
時折そっとファミコンのソフトを挿して遊びたくなるように。
今はやっているものが折に触れ振り返りもできなくなったときに、何を思うのだろう。
こんなこともあったと懐かしむデータ自体が存在しないのである。
学校のアルバムでも写真でも何でもあれば証拠にはなる。
そういう資料が消えるというものはやはり物寂しいものである。

記憶と記録とは違うものですよ、と訳の分からないことを考える今日この頃。
皆様方におかれましては日々ご健勝のこととお慶び申し上げます。