自認を否定することは | 隠者の庵

隠者の庵

自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

あるときふと思うことがある。
障碍を自認しなければ一体どういうことになっていただろうか、と。
自分が精神疾患であるという事実を否定する、
いわゆる病識のない状態でこの発達障碍をやり過ごすことは、
人と関わらない限りにおいては可能であるだろう。
つまり人と関わったら持病が嫌でも顔を出してくるので、
と書いてやっぱり無理だと気が付いた。

まあ最終的にはやんわりと拒絶されて病院送りになるのだろう、
でなければ家の中で惰眠をむさぼるしかない。
何処に行ってもうまくいかないというのは自認があろうとなかろうと関係ない。
結果的に自宅の中に逃げ込むか、
折り合いをつけて医者や福祉と相談し、自分ができることをあるものの中から探す、
それぐらいしかないと思うのである。

生きるために何かに迷惑をかける、それは大体誰も同じだろうと思うが、
その大きさとダメージの大きさは健常者の比ではないだろう。
つまり大ダメージである。
人の心が使えないという症状はかくも残酷なものである。