毎回このブログには意味不明なことを書かれるのが通例であるが、
どちらかといえば言葉のサラダ的なところをあえて狙ってやっているところもあって、
それが広汎性発達障碍の独特な言語用法と組み合わさって何かすごいものでも生まれないかな、
という案外適当な気持ちでやっている。
というかこのブログを書くときに下書きなんてほとんどしていないですから。
題材はブログを書く前に浮かんできたものを丁寧に広げて伸ばしているだけで、
基本インスピレーションしかない。
文章という名の詩を書いているのである(意味不明)
昔はこんなノリで詩を書いていたのだな、と時折感慨深く思う。
もう十年以上も前の話になってしまうのですが。
十年って長いですね(唐突)
ちなみに詩を書いた後というのは、前にも書いたとは思うが、反省はしない。
つまり推敲はしない。したら多分その時の感情の流れとは違う紛い物ができてしまう。
それではいけない、放置するのが最善だなと思う。
感情の流れを敢えて遮って作られるものとは一体何か。
見るも汚らわしきおぞましい物体である。