昔は発達障碍という概念もなかったし、結婚していない人間は変だという風潮があったので、
自分のような人間としてアレな奴でも、見合いだの結婚だのをやらされていたかもしれない。
今は化けの皮がはがれた状態、とも言えますが!!
メッキを全部剥がしたら社会全体が少子高齢化とか、晩婚化とか非婚化とか離婚率の上昇とか、
結婚するのが当たり前だったような流れからすれば唾棄されるような時代なのだとは思う。
しかし、くっつくべきでない人間を無理にくっつけていた時代の反動とみるべきか、
過去の結婚して当然のような風潮を賛美するのか、とすれば、
今まで過度に人間性を求められるような時代でなかったのが、
どんどん個人の行動を重んじるようになって、結果浮くものは当然のように浮くようになっただけだと思う。
その浮いている側に自分が入るとは思いませんでしたが。
まあね、無理やりにくっつけられたとして、家の中にある自分のコレクション(という名のガラクタの山)は、
とても人に見せられたものではありませんが。
見せたくないからくっつかない、と敢えて言いたくなるほどには、隠しておきたいものである。
見せざるを得なくなった結果、コレクションごと捨てられたとか笑えない話を聞くごとに、
本当にある程度の割合に「人間ってくっつく必要がない」と思われても仕方がないように思う。
昔は本当に離れたい人間は寺とか山の中に自力で押し込めたんですけどね。
そうも言っていられない(主に経済的な意味で)現状、家の中が家出先なのである。
自分でも何を言っているのかわからなくなりますが、
パーソナルスペースを確保できない人間は死ぬしかないとか思ったりはする。
そのために結婚を捨てても構わないような程度で。
誇張抜きで自分を表現すれば、結婚する必要も何もなくなる。
自分が自分の所持物に存在意義を認めれば、他の誰が認めなくとも、大丈夫なのではないか。
結婚とか恋愛とか言うのは、それを阻害するものである、と思う限り、
交際に積極的な意義を見出すのは難しいだろう。
まあ、今は精神障碍という本当に尤もらしい理由があるので、人間関係は自然になくなっていくのですが!!
それがなくて交際を迫られると思えばそれはぞっとするような出来事だっただろう。
訳の分からないことを言うが、これが自分の等身大のセリフである。
まず交際を持続させようという意志がない。
その前に交際しようという意志すらない。
外から何も話を振られないというのは、自分にとっては幸せなことなのです。
そこをはき違えると災いしか生みださないと思うのです。