発達という名の美学(譫言) | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

障碍には美徳も美学もへったくれもないとは思うが、
一応背負って生きている以上、何らかの矜恃はなければならないわけで。
いや、そんなものはない?ごもっともでありますが、
黙っていたらまずマイナスになるようなものを好んで受け入れるはずも無いということだけはご理解頂きたい。

好きで障碍者をやっているのはまれだとは思う。
障碍に自負を持ち、障碍者に利益があるという場合、身分における利益や、
障碍を盾にして健常者にせびるものが多いということだと思っている。

自分としてはそんな利権振り回しても恥をさらすだけだと思っているのだが、
世の中には利権を振り回したくてたまらない人もいるのであるから、
やっぱり世の中が解らない。
障碍があると言うだけで何かを押し通せるのであれば、それは何と傲慢なことか。
驕れるもの久しからず。

もう散々サービスとか色々な福祉助成を受けているのに、その口はまだ言い足りないのか、
と、あれこれ健常者を振り回す障碍者を見るたびに思うのであります。
この際静かであることも美徳なのではないかと、そう思う訳なのであります。
だってあまりに一部の障碍者はうるさいんですもん。
あのレストランに文句を言いふらした両手両足のない身体障碍者とか。

社会に何かを訴えるにしても、身の程があるとは思うのである。
自制のないものが街頭でよくやるシュプレヒコールを上げながら道端を通り過ぎるとき、
「あいつは何を言っているんだ」と思いながら静かに去るだろう。
単純にうるさいだけだが、たまに自分の身分で言えないことを社会のせいにして押しつけるような、
そういう身につまされる言葉も聞かねばならないので、嫌でも去らねばならぬのである。

兎角この世は生きにくい。