「神」という言葉を | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

神という言葉を、現実にあまりに使いすぎるから、神という言葉の意義が軽くなって久しいと思う。
「神業」とか「神憑り」という言葉なら前からあるし表現としても適切だと思うのだが、
「神曲」とか「神ゲーム」とか「神バンド」とか最近は訳の解らない言葉が増えて困る。
しかもそれを本当になんでもないような曲とかゲームとかバンドに使っているから更に困る。
もう某掲示板的にネ申とか言ったらさらに「もう勘弁して下さい」という気分になる。

無神論寄りの自分が言うのもなんだと思うのだが、神という者がいるとするならば、
もっと絶望的な高みにあるものだと思うのです。
日本人的な宗教観、ある意味汎神論のような感覚でその辺の物にも満遍なく神は宿るとしても、
もう少し丁寧に宿るべき物を選ばせるべきだと思うのです。
自称する「神」という物ほど神を馬鹿にし、ないがしろにしているものはないだろうと思う。

ある意味パンクの反抗精神という物は、権威があまりに高いところにあるからF××K!と言えるのです。
王家とか権力とかそれこそ神とか。自分たちに対して「敵対する者」が大きければ大きいからこそ、
反逆心という物はより一層燃え盛る物だと思う。
それがその辺のアイドルが自称するような「神」だと、
その辺の一般人でも遠慮なく蹴り飛ばせる程度に貧弱なようにしか思えない。
わざわざ「俺たちはアナーキストだ!神なんて糞食らえ!!」とかバンドが叫んだり、
やおら某ゲームのようにチェーンソーを振り回そうとする前に死にそうである。
そんなものに対して敵愾心を持つとしても、すぐに蹴り飛ばせるのだから大して意味もない。
エネルギーも使うだけ無駄な存在である。
本当に神なんですか?と思える程度には。
道端のお地蔵様でも、それに比べたらかなり権威がありますわ。
ある意味「言葉としての神」に対して失礼とまで思えるのである。
ちゃんと権威や実力があるからこそ、倒し甲斐があると思うのです(意味不明)
また、権威がちゃんとしているからこそ言葉の価値について語ることが出来るのだと思う。