個人的に広汎性発達障碍というのは、本当に飲み会に向いていないと思う。
整えられた環境でないと、本当に出る気がしない。
何となくでもいいので自分が出やすい飲み会というのは、
・興味の無い話題を振られない
・勢いだけで事を進める奴がいない
・時間を無視したり変なことを言う奴は酔っているからこそ却下
・「手酌?辛気くさい」とか言って割り込んでこない
・逆に酌をするために会場を徘徊しなくていい
とまあざっと見積もってこんな感じだと思う。
基本的に人間って自分の間合いで動くんじゃないのか、と思うので、
人に勝手に酒を注ぐ奴とか敵意を剥き出しにしてもよいとすら思うのです。
世間一般ではそれを気遣いというのだが、
人の意思を確認しないで勝手に行動するとは何事だ。
それこそ「空気が読めない」んじゃないか。
普段の生活では酒に酔ったとしても「障碍」なんていう言葉は口に出せない。
飲み会だからこそ口に出したくない。むしろ煽られる側なんじゃないか。
普段でも負い目を感じているというのに、傷口に塩を塗られるような話を聞いていられるか。
その辺同じ症状を抱えている人だけで集まると話もしやすいし、情報も集められやすい。
健常者が健常者で集まるように、障碍者も障碍者で集まる機会を増やすべきだと思うのです。
同じ者同志で話をしないと一向に進まない物事とかあると思うのです。
本当に似たような立場だからこそ間合いが解るのではないか。
猶障碍を公表してから、ほとんど飲み会というものに誘われることはありません。
むしろ無理矢理誘う方がどうかと思うのである。
無礼講って何処まで無礼講なんだよ(憤怒)