就職活動で学歴が何だかんだとか言われているが、
正直こういう身分になってしまうと学歴も何の足しにもならないよ!!と思う。
障碍というのは、その辺の体のいい建前をバリッと剥がすようなものだ。
残るのは世知辛い現実と、人間として如何に生き、如何にして死ぬかという
なんとも厳しいところだけである。
生半可に頭が動くだけ、社会性の無さが浮き彫りになって辛い。
実際診断が下る前は、人間性の曖昧さに振り回され(現在も振り回されていますが)
ほとほと疲れ果てていた。嫌でも社会性の無さは認めざるを得なかった。
周囲との軋轢というか気配りというか、日本的な空気、
その辺を察する能力が決定的に欠落しているのだけは、診断前から薄々感じていた。
そして社会性の欠落を埋めるには社会的経験だけでどうにかなるものではなかった。
その時代を思い出すと、何とも悶々とするのである。
今思い出してもどうにかなるものでもないし、現在の自分でもどうにもならないことばかりなのだが、
正直世間は乗り越えようと思って乗り越えられるものではなかったのである。
何というか耐久力とかメンタルの部分で引け目を感じる程度には。
そしてそれを学歴で埋めるには、穴があまりにも大きすぎる。埋められる気がしない。
もうちょっと無難な生活を送りたかった、といっても自分の内面的なものが許さない。
生きること自体がハードモードなのである。
自分を含め発達障碍の人はよく生きていられるものだと思う。
ここまでバリバリと差が出てきては、もう逆らう術もない。
たまに過去を忘れてしまいたくもなる。
もうちょっと認知が進み、療育の方向が明らかになれば、
まだ救いはあっただろうが、個人的には診断が下るのが遅すぎた。
自分は診断が下りたのは一通り学生時代が過ぎてから、
明らかに社会人として失敗してからなので、
早めに何とか出来ていればとは思うが、その頃は発達障碍とは何ぞや?みたいな時代だったので、
あまりイメージできない。自分も福祉系の本を読みながら何となく解ってきた程度なので。
学歴とか職歴とか、本当に役に立たないものになりました。
それでも、生きていかねばならないのです。