自分が大人になった気がしない。そもそもどうやって大人になるんだ。
と自問したある日。
空気を読んだり出来る事が、大人になるというとかいうのであれば、
それはそれでどうかと思うのである。
「規則さえ守っていれば、きっちり遵守していればとやかく言われる筋合いなんてないじゃないか!」
とか今でも思う。それ以上のことを一般社会では要求されるんですけどね。
「荒れた成人式」等々の報道を見るにつけ、騒がしい成人もいれば、
大人しい成人もいるし、自分のような成人もいる、
目立つのはまだいい方で、見逃された奴は一体どうなるのか。
と成人してから診断を下された自分が言ってみる。
自分の症状を自覚してからも色々大変なんですよ。
そもそも自覚しただけでどうにかなるのであれば、
ご大層な病名なんてついていない。
早期発見出来なかった自分など、幼少時から生活面での傾向がキチッと解って、
教育されている人を見るにつけ、何ともやるせない気分になる。
どちらかと言えば自分は発達障碍の症状よりも、二次障碍が色々重なったせいで、
電話に出られない、常にコミュニケーションをとりたくない等々、
様々なところに深刻な影響が出ている。
だが、診断名が明らかになっていれば、それらの症状は避けられたのか?とか考えても、
「結局仮定だから意味ないじゃないか。現実と向き合うしかないじゃないか」と
明言するより他はなくなる。可能性だったことは、今は不可能なことばかりである。
というわけで、大体自分は大人になりきれないのです。
やっぱり大人って何だ。定義から明らかにして欲しいものである。