続・メタメタなメタ思考 | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

結局言葉というものは、属性に規定されるもので、
同じ言葉を使っていようが、所属する属性が違えば、受け取られ方も異なる。
特に自分のように「普通」でないことを明言した人間にとっては。
同じように「福祉を推進しましょう」と言っても、制度の外側にいる者と、
制度の内側にいる者、また制度に関わろうとしているかそうでないかによっても、
受け取り方も受け取られ方も違う。
言葉は、言葉通りの意味を持たないという、何とももどかしい気分でありながら、
しかし身分が違うことを前提にしないと言えないこともある。
 
言葉が単なる表層的な意味を伝える手段の一つに過ぎなければ、
どれだけ過ごしやすいものなのだろうか。
文脈というものもなく、雰囲気というものもなく、
ただ言葉の意味だけが意味として捉えられる、
言葉が言葉という意味を越えて、必要以上の意味を伝達するようでは、
言葉の言葉としての意義は一体何処にあるのか、などと思うのである。
 
こうやって文章が長くなっていくごとに、付属する意味が増えていき、
何処まで論理的な体裁を保つことが出来るのか、
新しい意味を捏造してしまうのではないか、
言葉というものに言葉ではないものの意味を付け加えるというのは、
言葉としての簡潔さを失ったものであるなどと思う。
 
だが、今書いたことも医学書にまとめれば、「文字を文字の意味通りに受け取る」という
発達障碍の一類型を極めて解りづらく書いただけ、なのかもしれない。
そのことを知っていれば、解りきったことをクドクドと…と受け取られても仕方がない。
ただ、その事実を自分の言葉で書くことだけに意味があるのだと思う。
あらゆる前提を背負った上でも。