日常生活の防御姿勢 | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

自閉症がその名前通りの症状(自ずから閉じる)に
勘違いされるというのはままあることだが、
別に他人に頼らなければ生きていけない、というのを自覚していないわけではない。
適切な間合いや話のやり方というのが、臨機応変に変わるというのが解らないのである。
 
自分など「挨拶は堅苦しい方がいい」などと思うのだが、
実際他人から軽いノリで挨拶されると若干挙動不審気味になる。
堅苦しいのが自分の流儀なので、それ以外を持ち出されたときの想定を行えないのである。
少なくとも「その場」では。
 
そういう自分の想定以外のことばかり、外の世界では起きるので、
自然と(茫然自失として)乗り越えようとする気が起きなくなるのを、
コミュニケーションをとらない、と思われる、のかもしれない。
しばらく生きてきたのだが、やっぱり世間には永遠に交わらない世界があるというのだけは、
何となく知っているつもりである。
それでもどうしていいのか、など解らないことだらけなのだが。
毎日コロコロと変わる世界に対して、どう攻めたらいいのかを考えていく内に、
あれこれ煩雑になりすぎて、考えるのを止めるのがオチである。
 
外から色々なパターンの挨拶を持ち込まれるだけでも、混乱に至るには十分すぎる。
礼儀が数パターンあるだけでも、もういっぱいいっぱいなのだが、
何とかその辺一つにまとまりませんかね。