ここをご覧の皆様方は「こいつ…ひねくれているな」とか思うかもしれない。
他人から言われるまでもなく、自分はひねくれていると思う。
よく親や知り合いからは「偏屈で頑固で譲らず屋だ」と言われたものである。
ついでに協調性もない。
解りにくい言葉で表現すれば、石部金吉と言っても宜しいか。
ただ、このひねくれた性格というのは、別に障碍があるからこうなったとか、
因果関係は不明である。
協調性がないのは社会性の障碍、ということになっているが、
それが全般的、広汎的に何処まで作用をもたらすか、は自分でも解らない。
自分は自分の身に起きていることを記すのみである。
そういう意味で(どういう意味だ)変わり者が多い、と言われる発達障碍者界隈でも、
「変人・奇人」と一概に切って捨てるのはどうか、
と変わり者ながら思うのである。
診断が降りてから、なお一層ひねくれ度合いが増した、と言うわけでもなく、
生活に肩肘張らない分、自分の主張が聞き入れられやすくなった、というべきかもしれない。
他の人にとっては「孤立」に見えるだろうが、自分にとっては「改善」という、
本当に自分で書いていてどうなの、というひねくれ具合であるが、
こういう人間が発達障碍者のステレオタイプ的な標準、にはなって欲しくないのである。
建前は、一応取り繕える範囲で取り繕う。どうにもならない部分の方が多いが。
実際は本音の部分、一人で過ごして周囲に気を配らなくていい部分を増やしているだけである。
ひねくれた部分を通すには、何処かに道を譲らないといけない。
人間関係の疎遠化は、別に自分にとってたまたま譲っても構わない部分だっただけである。
ほとんどの関係を維持することを捨てて精神の安定がもたらされるのであれば、それはそれでいいと思う。
福祉サービスとか、社会的な補助とか、そういう必要な手続きさえ遠ざからなければ、
人間関係が疎遠、孤立というような関係でも、何とかやっていける。
一人でやることを、極力一人でやれれば、あとは特にいうべき事はない。
このように適当なことを書いては、公共の場に晒すようなことをして時間を過ごすだけである。
もう「早く人間になりたい!」とか思わなくなった。かなりの重傷である。
どうにもならないことがどうにかなるのであれば、このようなことにはならない。