一人でじっとしている分には、
自分が「障碍」という状態を認識する場面はそんなに無い。
自分の状態が誰かと比べられる機会がないからである。
障碍という状態は、他人との比較、
或いは十全な身体の状態との比較によって認識されるものである。
身体障碍者であれば、五体満足な状態を想定して自分の障碍を認知するのかもしれないが、
自閉症スペクトラムというのは、言語の認知や社会性という、
他者との関係性の中で生じる障碍であるから、
一人でいる分には別にどうということはない。
そういう意味では、障碍と共に暮らす、という言葉はピンと来ない。
普段の生活が馴染んだようなものだからである。
これから老化に伴う身体能力の衰え等が顕著になれば、
嫌でも身体的な障碍の可能性を加味しなければならなくなるが、
まだそれはやってこないし、やってきたとしてもハッキリ解るものではない。
腰痛だけははっきりしているけれど。
実際診断される前と後で、何かが変わったわけでもない。
それまでナチュラルだと思っていた自分の認知機能が、
他人と比較した上で著しく異なることが解っただけである。
だから何かを変えろといわれても、他者のと関係性がない以上、
何処をどう改善していいのかすら見当たらないのである。
これが家族と生活したり、グループホーム等の施設で
誰かと共同生活を送らなければならないとしたら、色々考える事もあるかもしれないが、
今はまだその時期ではない。
まだ、自分が自分であることが出来る。
人間関係についての問題は、起こらなければ把握できないし、
たとえ把握したとしても、健常者と比べればひどく稚拙なものである。
一応問題を抱え込まないように色々避けて生活しているが、
多分起こってしまったら大惨事になるのは目に見えている。
心があまり外に向かないように暮らしている間は、
こういう機会でもなければ、自分は障碍者であることを殊更に意識することはないだろうと思う。
「自分は障碍者です!!」なんてことを常々思い続けていたら、余計に疲れるし、気分が侘しくなる。