カミングアウト類考 | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

ぶっちゃけた話、こういう閉じられた空間だからこそ
自分の立場をカミングアウトして色々話す事も出来るが、
公衆の面前でカミングアウトする気には到底なれない。
カミングアウトをすることを勇気のあることだとは認める。
ただ、勇気があっても、その後にくる人間心理の変化があまりにあからさまだと怖いので、
私は誰か知らない人ばかりの場所で身分をカミングアウトする気はない。
 
最近は、ジャンルは異なるが、
テレビでも女装家とかいかにもそれっぽいのが多数でるようになった。
それはそれで個人の能力に即した仕事が出来れば特段問題はない。
ただ立場を明確にした人が続々出てくることで、
別に身分の保障も後ろ盾もない状態でカミングアウトする無謀なのが出てきかねない。
足場を固めてから言うのと、足場すらふらふらな位置でいう言葉の強さが、
とても同じだとは思えないのである。
 
ある程度の成績を残してカミングアウトすれば、能力の一部分扱いで、
もしかしたらある程度見過ごしてもらえる部分も無いとは言えない。
ところが大半のマイノリティは、身分も職業もとてもそれなりとまで達する人が多数なのだろうか。
ましてや発達障碍のように新しい言葉だと、
「発達障碍ってそもそも何?」という疑問も差し挟まるだろう。
意味を追求しなければならない余計な作業が入るので、
とても平穏無事に済むとは思えないのである。
 
まあ、傍目から見ればそんなに発達障碍は障碍者然とした風貌ではないだろう。
何ヶ月か顔をつきあわせれば空気の違いは解ってくるだろうとは思うが。
だからこそ、一層目立たない障碍なのである。
ないと思われている障碍が実はあったのは、目に見える障碍を微妙に隠すのとは違う。
手足の欠損や対処が必要な難病などは他の障碍に比べても実際見分けることが出来るだろう。
そこにダメージを受けていることも解ってもらえるだろう。
しかし、発達障碍の大半の人には、それほど深刻な、
目に見える形での障碍というものは見られない。
仕草や手つき、日常の行動の多少の違和感をつなぎ合わせて
「あれ、何となくおかしくない?」とハッとするようなものだと思う訳なのである。
そういう色々な思考判断を経て、発達障碍が理解されればいいなあ(願望)とは思うが、
いかんせん人数も認知も少なすぎてどうしようもない。
 
とりあえず、もう少し世間での認知、周知がなければ、自分はそう簡単に身分を明かさない。
別にあからさまにしなければ死ぬわけでもないけれど。