私の思考回路では、物は物に過ぎず、
物は精神としての意味を
「物である」が故に果たせないことになっている。
たとえそれが元は生きていた者であっても、
死んでしまえば骨という物でしか無いので、
精神の宿るも宿らないも無い。
物は物であるが故に一切精神性を持たないのであり、
魂抜きとか何だかの法要も意味があるのかと思う。
家にある仏壇だったり、寺や墓に置いてある遺骨や遺品は、
ただの物体という前提を持つしかなく、
木の箱や石の塊、あるいは骨であったり物であるに過ぎないのである。
魂などはない。
たとえ故人が愛用した色々な品物があっても、
それを自分の物だと(思い込んで使っていた)人はもういなくなったので、
所有権のない物品であるに過ぎない。
物を使うのは物に効用があるからである。
根拠のない作用の為に物を使う気にはなれない。
物体の第一義としての意味以外の物を、
物体に無理矢理くっつけるのは無しにして欲しい。