同情するなら(以下省略) | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

同情を、傷を嘗め合うような同情を怖れているからこそ、
自分は何かと世間が苦手なのである。
同情は、知らぬ内に上下の構造を作り、
哀れんでいる自分最高みたいな空気を作り上げる。
(哀れんでいる方が上に自然に立つ構造になっているからタチが悪い)
 
別にいつでも敢えて下に見られる必要性はないと思うのだが、
同情というものを感じたが最後、
憐憫の目で見られるようになってしまう。
 
自分は特に上から目線になってはならない。
だけれども、いつでも下に見られるようであれば
気分が凹まないはずがない。
だが、同情しないというのも難しいものだと思う。
 
何かが欠落している者に対して、
自分は「その部分はある」と思わないはずがないのだから。
 
同情という安易な問題解決が、
その人のためにならなければ、しないほうがいい。
同情よりも、一人の人間として見られた方がいい。
同情によって、悪いことが覆い隠されたり、悪を糾弾した人が制裁を喰らう方が、
世間にとって大きな害悪だと思う。
 
…愛と正義って一体何だろう?