草を抜きながら、
「雑草という草はない」と漫然と思う。
人は要る草と要らない草を勝手な分別で分けて、
必要のない草を勝手に捨てていく。
自分が草の生命に関与出来たところで、
草にとっては単なる災難である。
役立つ草はといえば、適度に育ったところで刈り取られ、
結局天寿を全うすることが出来るのは希である。
天寿を全うしたとしても、その子孫はほとんど残す事が出来ない。
割とほとんど人間の都合によって生死を左右されるのは、
たまに見ていて忍びない気持ちになる。
よく園芸の番組で、育ちの悪い苗は間引きましょう、
と言われるが、正直聞いていて気分のよい物ではない。
それは、暗に優れたものを残し、劣ったものを捨てていく、
残酷な人間の心が垣間見えるからである。
いや、その間引いた前を別な場所に植えれば
いいとか簡単に思う(実際は無理だと思うが)。
植物だって生きている、ものを言わないからといって
何でも勝手に操っていいわけではないとは思うのだが、
果たしてどうであろうか。