発達障碍は甘えなのか? | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

鬱とか軽度発達障碍が「甘え」だという人には、
是非この相手の心理が理解出来ない境遇を味わってもらいたいものである。
(無理だから敢えて言うのだけれど)
甘えとかそういう次元の問題ではないことに、
甘えなどという呼び名をつけてもらいたくはない。
 
別に自分が最悪だと認識しているわけではないし、
世の中を今までほっつき歩いてきた結果、
私など足下に及ばないほどの状況になっている人々に
実際会って色々なことをやってきた。
個人の努力の範囲でどうにもならないものを「甘え」というのであれば、
「甘え」と断罪することこそが「甘え」なのではないだろうか。
 
認識しようとして出来ないものがあると言われても、
他人の知覚を借りることは出来ないのだから、
自分を誰かに変えることは出来ない。
従って、どう足掻こうと自分は自分なのであり、
それを「甘え」と言われるような状況であれば、
何とももの悲しくなる。
 
それとも、「甘えだ」と言われた人は、
土居健郎氏の『甘えの構造』を読んで勉強しろというのか。
(それはそれで面白い試みだとは思うのだけれども…
 あと「甘え」がゲシュタルト崩壊を起こしてきた…)