朝から地震が起きたとかで、色々と騒いでいる。
ただ物事は、物理法則に則って起きるもので、
人間が読み切ることが出来るものと、
読みきれないものに分類されるだけである。
そしてそれは、大体が「偶然」と呼ばれるか呼ばれないかの境目辺りで
さまよっているのである。
地震という「結果」は因果関係を引き出す。
「結果」がなければ「原因」は作られない。
既に発生した事項に於いて「原因」を探求することは見られるが、
発生しない事項に於いて「原因」を追求することは見られない。
そもそも「原因」がおこす「結果」が皆無なのだから。
そしてその「原因」に、時折訳の解らないものが混じるのが
何とも救われないと思う。例えば前世の所行が悪かったとか、
供養の仕方が悪かったとか…
行為は再現することは出来ない。過去に戻ることも事実上不可能である。
しかし原因を追及するものは、大体「過去に戻ってああしていれば」
という不可解な想像と行動をする。
「結果」がある以上、「原因」は存在するのだが、
自分が納得する「原因」でないといけない、というのも
何とも困りものである。