「太陽の下に起こるすべてのことの中で最も悪いのは、だれにでも同じひとつのことが臨むこと、その上、生きている間、人の心は悪に満ち、思いは狂っていて、その後は死ぬだけだということ。」(旧約聖書 コヘレト書9:3)
自分の心の深奥に流れている低音のようなもの、それは
「結局人は何をしたとしても死んでしまう」というものである。
小学校に入りたての頃、父親に「死んだらどうなるの?」なんて
(いかにも子供らしい)質問をぶつけてみた。
父は「死んだら骨になって地中に埋まるのさ」みたいな事を言った。
それ以来たまに寝ようとして電気を消すと頭の中に白骨が浮かんできて
本気で眠れなくなることもあった。
学校に通学しても、話を聞きたての頃は
「ああ、みんな死んでしまう」みたいな想念が絶えなかった。
小学校低学年でこの体たらくなのだから、「思いは狂って」いるのだろう。
そして何とかここまで生き存えてきたが、やっぱり
「死ぬだけだという」世の中だという感は拭えない。
生活文化上「神を畏れ、その戒めを守れ」(コヘレト書12:13)とはならないだろうし、
そもそも神が存在するという前提が理解出来ないわけで、
「人の心は悪に満ち」ているのである。
で、結局最終的に何が言いたいの、となると、
「なんという空しさ、すべては空しい」(コヘレト書 1:2)で片がつく。
昔から悲観主義者だったし、こんな事になるような気がしてはいたのだが、
やっぱり「人生は虚しい」みたいなニヒリスト的な思考に落ち着いてしまうことになるのである。
何と虚しいことだろうか。