隠者の庵

隠者の庵

自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

これでも都市部に住んでいた頃はもう少しアグレッシヴだったし、何かを買いに行ったり何か趣味に取り組むというのも比較的積極的にやった。

今田舎に住んでいて作業所と自宅を往復するのがほとんどなのは、それ以外にすることがない、とも言う。

食事のために買い物をしても店の違い、あちこちで必要なものの分担というものがない。そもそもそんなに店がないから。

好きなことをするにしても趣味のものを取り扱いしている店がないから自宅を出ていっても近くで特に買えるものがない。

何かをしたくてもする人も取り組む人もいない。

興味があることができれば出て行くのだろうが残念なことにサークル活動とか聞かない。

となれば一人で何とかするしかないが一人だと自宅で完結してしまっているため外に出る理由が勝手に失われる。

田舎の中に特に娯楽があるということでもなく、どこかへ遠出をしなければ何もできない。

外に行ってもすることがなければ外に出ていないのと同じである。ならば引きこもり同然みたいなものである。

もはや通販か何かで自分に必要な物を取り寄せるしかない。

そこには店舗もウインドウショッピングも直に触れる感覚もない。

本当は店に行きたいがそれだけでも数千円とそれなりの時間がかかる。

都市では帰りにちょっと寄り道すればよかったものが、田舎ではあえてそこまで自力で進まなければならない。

田舎とはそういうものである。

何かの弾みでないとろくに文化に触れることもかなわないし、

障害者手帳の恩恵で半額とか免除になる施設なんて地元にはほとんどないから、恩恵を受けようと思えば必然的に遠出せざるをえない。

せめてスポーツ施設の割引がきくくらいである。映画館とか芸術施設とかそんなものはない。

要するに今住んでいる場所で何もできないから必然的に引きこもりのような状態に勝手に近づいていくようなものである。

そしてそれが田舎の定めである。

誠に遺憾である。

人間関係を構築したり、維持したりする能力が著しく低いから対人関係をやらせてもろくな事にならないし、

それ故に多くの人の間に入って働くこともままならない生活をしている現状、

皆様方におかれましては日々御健勝のこととお慶び申し上げます。


働くことというのは、普通に言われた仕事をこなすということと、配置された場所での人間関係を円滑にして回す、

両方の意味が成立してはじめて成立するものだと思う。

しかるに前者ができたとしても後者でつまづけば職場の空気が険悪になり、お金は稼げても生きている気はしないだろう。

かつての自分がそうだったように。毎日毎日綱渡りをしたり針のむしろに座ったり、

普通の人でもつまづくことならまだしも、ちゃんとこなせる、こなさなければならない場所を丁寧に破壊していくことを人間関係とは言えない。

私が人間関係に疲れたというのは、エンジン全開にしても人並みにこなせないことと、人が何を求めているのかほとんど理解できないことと、

その他些細なすれ違いも合わせて、人間の間に入って歯車の役目すらできないことに疲れ果てたから言うのである。

そもそも何をすれば人として自然なのか、その自然が全く体感できないことに欠陥がある。

何か人として成立しないような感覚、浮世離れしたり人を人と思っていなかったり、自分の素の部分は大抵人間を必要としない。

生活保護になって一人で何とかしてね、必要な手続き以外に誰も来ないけど、と言われても、その来る人をもう少し少なくしてと言いかねない。

人間の間にいると自然に不具合を起こすからそういう施設に放り込んでおくなりして、

歳をとって人間として一層頑固になる前にけりをつけておかなければならない。

私には人の間に入ってお金をもらう資格などあるのだろうかと思うほど自己肯定感も低く、能力もないだろうと思っている。

発達障害と診断される前までの自分の働いた結果が欠陥みたいになって阿鼻叫喚だったのも含めて、確定しているようなものだと思う。

もうメンタルはボコボコである。

作業所を利用してボロボロの精神をあれこれして何とか生きているようなものである。

金はないからプライドも低い。金があればできることは大半できない。

では何がしたいのか、と言われたら、人の来ない場所で畑でも耕しながら健康で文化的な最低限度の生活をしたい、と言うだけである。

独り立ちというか根本的に一人になりたい。人間関係に割って入ることができないから。

誰もいなければ誰とも比べる必要はない。時々やってくる福祉の人々と必要最低限度のやりとりをすればいい。

それ以外の人間関係については多分自分には過大なものだろう。たとえ親戚であったとしても。

お坊さんみたいに出家したり、種田山頭火や尾崎放哉のように庵を結んで一人になりたい。

人の間に入る度にある程度の絶望は避けられないから。

人間に向いてない人間を人の間に割り込ませて何をさせようというのか。

誠に遺憾である。

正月からテレビやネットのどこかの占いサイトで自分の星座が最下位だと元旦からテンションを落とさないで下さい、と思う今日この頃、

皆様方におかれましては日々御健勝のこととお慶び申し上げます。


新年明けましておめでとうございます(機械的な挨拶)

今年の抱負、と言われても日課と普段通りのリズムを崩さないようにしたい、くらいしか言いようがない。

昨年の普段がボコボコに崩れているがゆえに。

なんとしてでも今年は精神的安定の方法を模索しないといけない。

あまり波が激しすぎても困るからである。

落ち着いた波のように、流れを落ち着けて、可能な限り平穏無事に過ごしたいものである。

大学進学後に困りごとが見つかって結果的に発達障害だとわかる、とかあるじゃないですか。

大学でも見過ごされた自分は一体どうすればよかったんですか。

結果的にケアとか何もないまま普通の仕事を普通にこなさなければならなくなり当然のように問題が起きてまあ大変でした。

結果数年でギブアップして心療内科へ直行したんですけどね。

ここから立て直すカリキュラムとかどうやって探せばいいという段階なので、

治療も何もないから襲いくる二次障害に薬だけで立ち向かわなければならない。

大都市圏に住んでいるわけではないから継続的な心理療法を受けようとすると交通費だけで大変なことになる。

要はこれ以上心の傷を広げないように何とか自力で自分を維持する、しなければならないということである。

組織的な教育の網からもれて個人の努力だけで何ができると。

誠に遺憾である。

電話を使うといつどうやって自分を捕まえられるかという疑心暗鬼に陥るので、

私にとってスマホとは電話を持っていても電話であることを意識しない、通信できるゲーム端末みたいな扱いである。

当然メールもLINEもしない。家族の通信でも既読になるのが一番遅いと言われる。

見ていないから当然である。見たくもないものを見て生きるなんて極力したくない。

誰かに連絡を取るということを全く想定していない生活を送っているので交友関係についてはお察し下さい。

常に人とつながりに行く家族などを見ては首を傾げるような生活である。

俳句とか短歌とか一人でないと集中して取り組めないことなんて山ほどあるでしょうに、などと私は思っている。

仕事に関する最低限の連絡以外に連絡なんてしなくても生きていけるだろうに、と思っている。

当然ながらこんな奴がLINEなど扱いきれるはずもなく。連絡を取り合う形のアプリについては何も知っていないに等しい。

人のことを知ると疲れがドッと襲ってきて何も進めなくなるから。

人は鎖である。人同士を縛る鎖である。

相手がいないと成立しない競技は別として、決まり切っていない関係を持たされるのが私には本当につらい。

連絡に怯える生活なんてご勘弁である。

誠に遺憾である。

田舎だとチェーン店というものがないのでお取り寄せにも片道車で数十分とかいう話になるし、

そもそもない店をいくらメディアで取り上げても、行くこともできないし、

たとえ行けても往復数時間かかる場合どうしたらいいんですか、という気分になる。

田舎とはそういうものです。

ケンタッキーフライドチキンでも手に入れるのは一苦労なので、その辺のスーパーのチキンでも手に入れるか、というチキン(腰抜け)具合である。

ハンバーガーのために往復1時間強とかそんな物のために産まれたんじゃない、という気分になる。

だから自分の調理技術と近くのスーパーで何とかなるように仕上げるのが田舎と自分は思っている。

間違っても都会と同じライフスタイルは送れませんし、ものすごく手間がかかる。

田舎の利点なんてのは畑でもやらない限りそんなにないだろう。


あとは人がいないことに楽しみを覚えるか。

それでも冬以外は近くをうるさい車とかバイクとか何かが通り過ぎたりはするんですけどね。

誠に遺憾である。

サウナで人が亡くなるとかとてもいたたまれない。

出られないとか密室殺人みたいなものではないですか。

温泉とかのサウナに入ってしばらくすると入ってきた扉が何らかのトラブルで開かなくなったらどうしようとか思ったものであるが、

本当に開かなくなるとは想定していない。ここまで事が大きくなれば施設管理まで責任は及ぶだろう。

こういうのがあるともともとサウナにはそんなに近づかない方ですが、より一層近づきたくなくなる。

人間は何が起きても死にかねないが、一層死に近づくようなことはしたくない。

サウナとかジェットコースターとか山登りとか。

それでなくても家に火がつけばそれだけでも簡単に死ねますが。

階段から落ちただけでも死にますが。

誠に遺憾である。

聴覚過敏とかあるといろいろなものがうるさく感じられるようになり、道路を通り過ぎる様々なものも例外ではない。

冬の降雪時にそんな車やバイクを運転してたら死ぬぞ、というものは大抵走らなくなり、

それだけでも大分静かになる。願わくばこのまま雪が解けてもこのままだといいのに。

うるさいということは、うるさいところ以外にも何か取りあげなければならないものでもあるのでしょうか。

除雪車の音が大きいのは雪をどけなければならないから仕方がないと思っている。

ただの排気量のでかい車輌とか特に意味があるんですか、今はEVの時代でしょう。スポーツカーやバイクもそうなってくれませんか。

もうデカい音のする場所には近寄りたくもない。

変なことに巻き込まれて主に精神的に著しいダメージをくらうのは勘弁である。

誠に遺憾である。

発達障害、自閉症スペクトラムのみならずADHDやLDについても早期発見が大事なのは言うまでもないと思う。

しかし診断後に違いをあまりに明確にするあまり「障害者でも頑張っているんですよ」というお涙頂戴の題材、教材にされることは勘弁願いたい。

何その人権無視。自分の意志で障害になった人間がいれば言ってもいい可能性は出てくるが、

およそ障害というのは生まれつきのものか怪我や病気になって不可逆的な障害を背負ったか、で、

自分の意志で狙って障害になるなんてことは絶対に近い確率でありえない、と思っている。

健常者と障害者の交流というのは健常者が優越に浸るためのものではない。

慈悲や憐憫の感情を定期的に起こすために行うものでもない。障害者でもプライドというものはある。

そんなことをするなら完全別世界で放っておいてくれ、なぜ人の、子供の優越感を巻き起こす「ざいりょう」にされなければならないのか。

とはいえ障害があって普通の学級に入っても違いがあることは明確な場合がありそのためにひどい仕打ちをくらうこともあるから、

発達障害者をいつでも同じ場所に入れる過度なノーマライゼーション、という意見にも完全には賛同できない。

障害者という概念を知らないで大人になって差別的になるのも避けなければならないが、

だからと言って障害者というのは人間によく似た何かです、みたいな扱いにされるのも困る。

それ人間扱いされてないってことじゃないですか。

人間の形をした何かみたいに扱われてプライドが傷つかないことがあるだろうか。

それだったら人間に不必要なほどに関わらなくていいから、ひたすら特別支援学校でカリキュラム通り訓練を受けてトレーニングをつみ、

できないことを大問題にしないようコントロールして、できることをちゃんとできるように教育した方がいいだろうとまで思う。

同じように「別世界」にいるのであれば変に人に会わない方がかえっていいかもしれない。

人の悪意に晒されない、という意味で。

分けることで単に早期発見がされなかった自分のような発達障害者がいろいろやらかしてきたように、

思慮のない空気の読めない人間に出会ってしまう確率が減るのならそれでいいと私は思います。

誠に遺憾である。

最近眠れないわけではないが夢が妙に明確だったり不自然に起きたり二時間おきに起きたりそのたびにちゃんとした夢を見たり、

眠りに何かしら異変が起きたような気がしてならない。ついでなので夢も特にひどいのは解る限り何かにメモしてある。とにかくひどい。

入眠はすでにずっと睡眠導入剤を十数年使っているし量や強さも色々変えてきた。

ただ夜中に起こされた時の反応は想定していないので、起こされたら何とかしなければならないが、

かといって布団に入って眠れと念じる以外にやることはない。

そして酷い夢を見る。全く酷い話である。

別に好きこのんで不眠になったり眠りが浅かったり奇妙な夢ばかり見たりはしない。

何かしらの悪い影響があってでもないとこういうことにはならないだろうと思う。

同じ障害の知り合いなどは一定量の精神に関わる薬を服用しないと悪夢にうなされる、というし、

色々なものが、黒歴史がフラッシュバックして頭を抱えるような毎日は過ごしたくないので、

処方された薬はきちんと服用して過ごしている。問題は夜は眠くならないが昼から眠くなって午後から太陽が沈むまでが最も眠い時間なことですが。

誠に遺憾である。