サンデー毎日のロッキー青木伝14回目ーー。

 

 ヤマノビューティメイト社長の山野彰英は1970年代末に株式を買い占め、老舗繊維メーカー「日本レース」の経営に乗り出した。昨今でいえば、企業再生ファンドによるTOB(株式公開買い付け)のようなイメージだ。もっとも当時の企業買収は、株式市場外の水面下で株を取得し、突如、大株主として躍り出るパターンがもっぱらだった。山野美容学院創業家に生まれた山野は当初、化粧品の流通ルート拡大のため、日本屈指の繊維メーカーに目を付けたとされる。

 その企業買収に相乗りしたのが、ロッキー青木である。ロッキーの事業パートナーだった中根和夫はその仕掛け人に他ならない。当の中根が次のように語る。

「私はアメリカにいた山野君が、新しく何かやりたいというので、ロッキーを誘って日本レースの話をもちかけたのです。山野側の財団法人やらを使って日本レースの発行済み株式の51%を取得し、そのうちロッキーも3〜5%くらいの株を持ったと思います。ロッキーの投資額は5000万円程度ですから、金額としては大したことはありません。あとは佐川急便グループの佐川(清)に頼んだのか、(田中)角栄さんか、わかりませんが、山野君のM&Aには、日活も一枚加わっていました」

 ロッキーは日本レースへの投資を機に、山野だけでなく、映画製作会社の「日活」とも組んで新たな事業に挑んだ。その前に、ロッキーと山野がタッグを組んだ日本レース事件の顛末について触れておく。(以下略)