本日発売の週刊現代「興銀秘史」もいよいよ大詰めの9回目。

 

 日本興業銀行はなぜ消滅したのか。富士銀行や第一勧業銀行との3行統合に向けて本格的に動き出したのは、日本のバブル景気が崩壊したあとだが、実はもっと早く、統合の蠢動は1980(昭和55)年代からあった。元興銀常務の玉置修一郎が次のように打ち明ける。

「富士銀行に松沢(卓二)という実力頭取がいた頃です。ナポレオンと異名をとった松沢さんが会長に退き、『将来の富士銀行の絵を描け』というテーマで行員に論文の提出を求めました。このときの1等賞が『興銀との合併』でした。もともと興銀と富士は相性がよかった。富士には金融債を引き受けてもらったり、日銀特融を使って救済した山一証券のメインバンクになってもらったり。市中銀行の中では一番ウマが合ったのが富士でした」

松沢はその風貌と行動力がフランスの皇帝ナポレオン・ボナパルトに似ていたことから、金融界でそう呼ばれた。(以下略)