擁壁部には中央本線の宮谷隧道があったという


みやたに小学校・・・校舎が描かれているが その木造校舎が有名らしい








その辺りに宮谷隧道は存在したらしいが現在では面影もない



それが坑門の上部なら この箇所の旧線は地上を走行していたことになる








高台へ向かう


目の当たりにして瞬時に悟ったが あれは猿橋で見かけた水路橋の続きであろう

やはり危険を伴う流れのある水路には それなりの安全対策が取られている







富士山が望める

夏の時期となると富士山と認識するのは難しそうだ


一見 隧道関連の供養塔かと思えたのだが ばとうかんぜおん(馬頭観世音)とある
意外にも馬頭観音碑は甲州街道20号線沿いに点在しており 石碑は家畜の安全や健康を祈ったり 旅の道中を観音様として信仰され 昔は武家や農民にとって生活の一部であった馬を供養する仏としても信仰されていた
その為 馬頭観音碑は競馬場付近にも祀られていることが多い



旧大原隧道東口坑口を見据える
あのとき隧道から振り返って薄々解っていたことだが 木々に阻まれ その姿は見えない








最奥バス左の電柱真上に坑門の一部が覗くのだが 周りの色と同化している状態にある


無論 当時はバス車庫もなければコンビニもなく その敷地を宮谷隧道へと旧線は通っていた
防草シートの掛かる土手が その名残でもある








東口坑口へ向かう


その前に延長駐車料金と称しホットコーヒーで休憩をとる←








さて 東口坑口へ向かおう


当時はバス車庫からコンビニにかけて ちくてい(築堤)があった




築堤とは橋脚に通す高架とは異なり 盛り土によって高架を構築したもので 鉄道以外にも道路や河川の堤防に用いられる工法である
当時の築堤は擁壁と似たような高さから 先程見下ろした築堤跡は切り下げられた一部にすぎないことが解る








現バス車庫の箇所には東口橋台と対を成す橋台が存在した



やはり知るひとにしか知り得ない状態だ

そこに坑門の左上部が覗く

これでは高台から認識出来ないのも当然だ




そのモルタルを見て東口橋台もモルタル補修されているのを思い出した

カモフラージュのようにも見える








新猿橋へ向かう
これより新猿橋まで緩やかな上り坂になる




仙台屋や猿橋へと続く旧国道
先に見える仙台屋に辿り着けば東口橋台下部から西口坑口上部へと上がってきたことになる




冬を迎え 枯れ木の目立つ景色に変貌を遂げた桂川渓谷


紅葉は終えても三奇橋のひとつというだけあり観光客は絶えない








今日 私が赴いたのは他でもない
仙台屋の女将から西口橋台の草木が伐採されたとの報告を受けたからだ








この事実を知り得たのは仙台屋に予約の電話を入れたときである

やはりこちら側も橋台の名残だったということが判る




それにしても影で写り込む新猿橋も画になる

草木が枯れたことで ここからも水路隧道が望めるようになった


夢の共演である