自然や人間の創造したものに振り回される日々。
連日報道されるニュースに一喜一憂の毎日。
かつて忌野清志郎さん(RCサクセション)が原発に関する曲を世に出そうとした時、様々な事情で発売が中止になった。
当時、国民へのその“知らせ”は、新聞の告知欄に、
『この曲は、 素晴らしすぎて 発売できません。』
と載ったそうだ。
私はその話を当時知らなかったのだけれど、
その新聞記事が印刷されたプリントをもらって、学校の授業の中で教えてもらった記憶がある。
原発についての論議をここでするつもりはないので、これ以上を語るつもりはないけれど…ふと思い出した。
一年前に職場の有線で何度かこの曲が流れているのを聴いた。
不安と混乱の続く中、
今は現場で不眠不休で必死に作業をされている方々の無事を祈る事しかできない。
想像を絶する過酷な条件の中で、お互いの身体を配慮しながら交代で作業をしていても、心は四六時中決して休まらないと思う。
それは被災地に住まう方々や、被災地で働いている方々もそうだろうと思う。
同じ国民、同じ人間として本当に心が痛む。
東北地方に顔見知りがいなかったとしても、
今年の正月も例年通りどこの家庭でも、みんな同じように明るい気持ちになったりだとか、
この間のサッカーのアジアカップで、日本の皆の心をひとつに応援したり、優勝を喜びあったりしたじゃないか…。
顔は見えなくても、気持ちはみんなどこかでしっかり繋がってるんだと思う。
野菜にしても魚にしても、牛乳にしても、水や電気や部品一つにしても、
「喜んでもらえるかな?」、「これは自信作だ。」と、
顔は見えなくても、
日本のどこかに住んでいる私たち、たくさんの人々の笑顔の為に、
こだわりや想いを込めて、知らない誰かが一生懸命作ってくれているわけで。
お金を出す云々じゃなくて、
その『想い』という目には見えない“ぬくもり”に私たちは日々、生かされているんじゃないだろうか。
だから決して「人ごと」じゃないよね。
私たちの生活のすべてで、
どこかで必ず『繋がって』いるのだもの。
友達や親戚じゃなくても、
日本に住んでいれば、きっとどこかで関わっている人達だもの。
忘れちゃならない。
顔は知らなくても、これだけ繋がりある人達の事を。
私たちにできる事は続けていこうね。
“今”だけじゃなくて。
遠くても、限りなく近い“日本の家族”、みんなのために。
そしてこれは、自分達のためでもあるのかもしれない。
これからの、私たち“みんなの未来”のためであるのかもしれない。
(※読むのが今、とてもつらい方は、次の添付記事を読まないでください。
…でも、これも被災地の“今”であり、ニュースでは流れない現状の一部分だそうです。↓)
GLAYのTERUさんが被災地に救援物資を届けられた時のお話です。
東日本大震災の爪痕-1
(2011-03-28 10:49:51)
東日本大震災の爪痕-2
(2011-03-28 10:50:50)
人間は底知れない力を持っている。
けれどその反面、とてももろい部分もある。
きっとそれは、“心”があるから。
心の傷を治す薬はいくらお金を出しても買えない。
義援金が何億と集まっても治せないのかもしれない。
だけど、
額に関係なく、そこには確かに“人の心”がたくさん詰まってる。
人の心のあたたかさと、
時の流れが、
その傷をほんの少しずつでも癒してくれますよう…
祈りと願いを込めて、
続けていきたいと思います。