2011-03-28 10:49:51

東日本大震災の爪痕−1

テーマ:ブログ
2011年3月24日、夜9時、僕は岩手県大槌町行きのマイクロバスに乗っていた・・・。


前日、友達であるミカジョン(PJ社長)が、東日本大震災以来、被災地に救援物資を直接届ける活動をしているので、その物資を一時集積してるonion inkへ、僕なりに届けて欲しい品物を持って行った。

その直ぐ後に、ミカジョンから電話があり、「ありがとう!ちゃんと届けて来るよ!今回が最後だからさ、テルも行く?」と・・・。

即答はできなかった。

未だに余震が頻繁である事と、津波で壊滅状態である場所へ訪問すると言う事が、僕の心に歯止めを利かせていた。

「ごめん、家族やメンバーに相談してからで良いかな?」

この時点で、僕は、行きたい気持ち半分、不安半分な状態ではあった。

でも、きっと行くんだろうなと思っていた。

直ぐにメンバーや会社に連絡をとり了解は得た。

快く送り出してくれた。

家族は・・・。

東京も原発の問題や余震、不安な夜を過ごす毎日・・・。

きっと、行かせたくはなかったんだと思う。

でも、僕の性格を知っているから、ダメとは言えなかったんだろう。

みんなの思いを背に、僕は次の日、出発地点であるonion.inkに向かった。


丁寧に仕分けされた物資が箱詰めされ、山積みになってる。

4tトラック1台分。

届け先の地名が段ボールに書かれていた。

見た感じでは3カ所。

今までに何度も被災地へ物資を送ってたのは知ってたんだけど、こんなにも大変な作業だとは思わなかった。

お米30kgが60袋くらいはあっただろうか?2lのペットボトル6本入りのミネラルウォーターも大量にあった。

テトリスのように、トラックの奥の方から順に積み上げられてゆく。

1つ1つ手渡しで運ばれる物資。

2時間かかってやっと全ての物資が詰め込まれた。

K1選手、通称「コヒ」ミスターストイックと異名を持つ、小比類巻 太信選手も手伝ってました。

それにしても、以前は、この4tトラック4台で被災地に行ってたというんだから驚いた。

こんなこと出来る人、なかなかいないよ。

日本中から集まった物資。

そして、仕分けを手伝ってくれたボランティアの方々、140名程って言ってたかな?

全て、twitterで繋がった人や気持ち。

ミカジョンの人柄ありきだとは思うけど、twitter、本当に凄い!

物資を送ってくれた人達や、集まった人達は「みんなジョイン」の活動に賛同した人達ばかり。

とても良いネーミングです。

ちになみに、ミカジョンとみんなジョインのtwitterのiconは、僕のデザインです!(何の自慢やら・・・)

さてさて、ひとまず、休憩しながらも、現地へ行く人達だけで作戦会議。(マイクロバス8人、4tトラック3人、計11人)

基本的には、ミカジョン宛にメールで助けを求めた避難場所やtwitterで物資が全く来ないと苦痛の呟きをしていた避難場所に物資を届けるのだが、相手が何を欲してるのか?受け入れ準備は整っているのか?など、情報収集は細心の注意を払ってる様子だった。

と言うのも、仕分けに手こずり、物資だけが溜まり、日本中から届く物資を置く場所がなくなり、受け入れ拒否をする所もあるようで、本当に物資を欲してる避 難所に届けられる為に、避難場所である学校と直接連絡を取り合ったり、物資収集を個人でやってる方と連絡を取り合ったり、とにかく大変そうだった。

ただ、物資を届けるのにも、色々と国に申請しなければいけない事もあるようです。

緊急車両の許可証を戴くのも大変だったとか・・・。

なので、今回のチームは、元自衛官の方がいたり、運搬のエキスパートがいたり、医師がいたりと、凄い面子でした。

この方達も、twitterで集まった方達ばかりでした。

その中での、僕の役目は、物資の荷下ろし&カメラマン。

そんな、メンバー全員に物資を届ける街の状況と大体の時間割を説明。

さて、出発って事で、onion.inkを出たのは9時半。

走行時間、予定では10時間。

行く先は、岩手県、大槌町。

街は、壊滅状態。

避難場所が点在し、物資が行き渡らない場所。

以前にも何度か、物資を運んだ場所のようです。

とにかく、走る!

何とも言えない不安が襲い、眠れない。

自分の心が耐えられるか?心配だった。

朝7時、花巻で高速を下り、そこから1時間走る。

途中、道の駅で休憩。

そこに新聞が無料で配布されてた。

自分達の力で卒業式。

文章読んで、泣けた。

頑張ってんなー。

そんな人達に、物資を届けて、少しでも安心して欲しいと強く思った。

東京を出て約10時間、街中を走って行くと突然景色が変わった・・・。

家が倒壊し、家の壁だけが残っている・・・。


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津波と火災・・・。

被害の大きさに言葉が出ない。

避難場所まで歩いて行くという、ご夫人2人に乗ってもらい、避難場所である役所へ。

高台にあったので、街が一望できた・・・。

何も無い・・・。

あったはずの街が・・・。

僕は、カメラを向ける事をためらい、ポケットから出せずにいた・・・。

撮れなかった・・・。

それほどだった・・・。

体育館に避難してる人達がいると言うので、是非、声をかけてあげて下さいと役所の方に言われ、僕は、どうして良いのか分からずのまま、案内されるままに歩いていた。

途中のホールで箒を持った中学生の女の子3人組が「TERUさん???」「え???なんで???」と嬉しそうに喜んでくれた事で、僕はやっと自分が出来る事を確信したのかもしれない。

女の子達と握手をして体育館に向かおうとしたら、ミカジョンが「ハグしてあげなさいよ!」と、ひと言・・・。

え???いやいやいや、彼女達も、年頃の女の子だし・・・ねえ?・・・。

しかし、照れ臭いながらも彼女達は「お風呂入れてないんで汚くてごめんなさい!」と。

そんな事言うなよ!ギューって感じで、こんな俺で本当に良いのかな・・・。

って、嬉しそうにしてくれてるし、良かったのかな?

あーこう言うのでも、元気になってもらえるんだなー。

そんなんしてたら、お婆ちゃんやお父さんお母さん達もたくさん集まって頂いて・・・。

写真撮ったり握手したり、ハグしたり。

小さい男の子が2人、ずっと手を握ってくれてて、離さない(笑)

そうこうしてたら、ファンクラブに入ってる女の子に会いました!

twitterも見てくれてるって。

もっと、たくさん話せたら良かったのに・・・。

初めて訪問した避難場所。

後ろ髪を引かれる思いで車に乗りました。

ファンクラブに入ってる女の子が携帯持って外で手を振ってくれてた。

また来たいと思った。

とにかく、今回はミカジョンの計画した行程通りに動くのみ。

ミカジョンに直接救済連絡があった場所に、必要な物資を届けに行く。

次なる場所は、PJの社員であるMAKIちゃんの実家がある街、赤浜町。

お母さんが、看護士と言う事で、今も赤浜で活躍中。

そんなお母さんが今お世話になってる従姉妹のお家へ物資を届けに行くんですが・・・。

お母さんの実家は、津波に流されてしまったようです。

この街、TVで見た事があります。

マンションの上に大型の船が乗っかってる映像・・。


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まだ自衛隊の方々が作業中なので、お家までは車が通れない状況って事で、一度、引き返し、小学校へ。

そこで、なんと、有名人に遭遇!!!

自分達の力で卒業式をした小学生!


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元気だった。

その子らと談話してたら、こんな会話が・・・。

「お金なんていらないよ。だって、お金があっても買うもんないもん。」

TE「じゃーなんか欲しいもんあるの?」

「うーん、ないかな・・・」

TE「じゃー、教科書買って送るよ!」

「いや、教科書はいらない(小学生全員爆笑)」

実に小学生らしい解答だった(笑)

「でも、有名になりたい!!!」

お母さんがまだ見つかってない子や、家が流されてしまった子。

そんな子達はもう、前を向いて進んでるんだと思った。

有名になって、何をするのか?

きっと彼らは、有名になって、何不自由の無い暮らしをしたいんじゃなく、人を幸せにできる有名人になりたいと言ってるんだと僕は思った。

彼らの笑顔は、曇ってなかったよ。

この子らが大きくなって、この街を再建して行くんだなー。

逞しい!

逆に元気貰った。

そうこうしてるうちに、お母さんがやってきて、自衛隊の方々の作業が、まだかかりそうって事なので、とりあえず徒歩で行こうってことになりました。

避難所から徒歩で10分程の場所にあるんですが、道中、お母さんから色んな話を聞きました。

倒壊した家屋の周りで、家族を捜す人を指差し、○○ちゃんの家なんだけど、まだ見つかってないのよ・・・。

ほら、あそこに私たちの家があったんだけど、津波でみんなやられちゃった・・・。

あそこ、堤防の門があるんだけど、青年団の人達が必死に門を閉じてくれたんだけど、そのまま流されちゃって、まだ行方不明なのよ・・・。

あそこの学校の体育館に避難したのに、みんな流されちゃった、幸い、あの木にしがみついてた人が助かったの。

僕は、返す言葉も無く、ただただ聞いてるだけでした。

津波に流された家屋の隙間をくぐりお家へ。

娘さん二人とお母さん、お婆ちゃん。

女性4人で暮らしてるようでした。

娘さん二人が、僕を見て喜んでくれた。

GLAY頑張って来て本当に良かった。

そうそう、先程の小学校でPJのMAKIちゃんが流暢な英語で街の被害を説明してた人がいたんですが、その人も一緒にきまして(笑)

名前はニック。

海外のジャーナリストと言ってました。

取材に来てるって。

ちなみにMちゃん、容姿端麗、かなりの美人です。

一緒に来たマネージャーのクマが、かっこいいかっこいいと何度も連呼してました(笑)

偶然、会って、英語を話せる人に会えて、そして、とても綺麗な女性で、本当に助かったって言ってました。

俺も取材されて、なぜ、有名なミュージシャンが皆と一緒に来たんだ?って聞かれたので。

「被害に遭った場所にも、僕らのファンがたくさんいる。だから僕は来た!」と言ったら、凄く納得してくれました。

そう、物資の運搬を手伝いながらも、僕が行く事で、被災に遭ったファンの方達に少しでも笑顔になってもらえたらって言う気持ちが強かった。

現に、ファンクラブに入ってくれてる子にも会えたしね。

ニックの取材を受けながらも雑談してたら、なんとお昼ご飯が・・・。

こんな貴重なものを・・・。

白飯につみれ汁。

もう、なんて言えば良いんでしょうか・・・。

どんなご馳走よりも、美味しかったです(涙)

この瞬間に、また絶対に来ようと思いました。

その時には、お礼の品を持って来ようと心に決めました。

この街が、もう少し復興して、新たな生活が始まった時、ギター1本かついで来ようと決めました。

食事を戴き、物資を置いて、そろそろ帰ろうか?と車に乗り込んだんですが、MAKIちゃんが心配だからここに残ると・・・。

そう、みんな心配でした。

と言うのも、物資を従姉妹のお家に運んでたら、色んな場所から人が出て来て、この物資をどうするんだ?と聞いてきまして・・・。

怖かったです。

軽トラに乗って来た人が止まり、下りて来て「ここに物資置くな、本部に持ってけ」と、横柄な態度で、説明を全く聞かず言いがかりを・・・。

お母さんが「本部に届いてるのに、ここまで回らないから、みんなが心配して持って来てくれてるんでしょうが!」「本部、何やってんのよ!」

そんなお母さんに対し、その人、五月蝿いハエでも追っ払うかの様に、片手でお母さんの顔の前を払い一瞥。

こんにゃろ!!!

さすがにこの瞬間、やばい、みんな切れそう・・・。

そこに入ってくれたのが元自衛官のYOSHI君。

「本部に渡す物資は、先程、自衛隊に渡しましたので、自衛隊に連絡をとって下さい!」

流石です!

冷静です。

なのに、「あっそう、じゃーこれ全部、このお宅のもの?こんなに?上にももう1カ所本部あるから、そこにも持って行ってよ」と・・・。

でも、お母さんが「そんなの知ってるわよ!全部把握してるのよ!」「本部、しっかりしなさいよ!!!」「本部、何やってるのよ!」と食ってかかる。

またその人が、片手でお母さんの顔の前を何度も払う。

そして、YOSHI君がお母さんをなだめる・・・。

そんなやりとりが10分程続きました。

物資の問題に関しては、これだけシビアになってるんだと思いました。

後で聞いた話ですが、物資欲しかったら本部まで取りに来て下さいと言われるようです。

取りに行けないお年寄りはどうするんでしょう?

奇跡的に家が残り、自宅で過ごしてる家庭はどうすれば良いのでしょう?

田舎町なので、移動する手段は車。

でも、ガソリンが無いから動かせない。

なので、物資が本部から届かない避難場所があるんです・・・。

この街だけで54カ所の避難場所があると言ってました。

一度も物資が届けられてない避難場所もあるようです。

ましてや、自宅にいる方達には・・・。

そんな場所を訪問し続けるお母さん。

ミカジョンが運んでくれる物資を受け取り、本部から届けられてない避難場所やご近所さんを優先的に分配してるようです。

この街で、この状態。

こんな街、たくさんあると思います。

この物資の問題が「市」レベルになると、より大きな問題になってると聞きました。

悔しさが込み上げますが、これが事実です。

こんな状態なので、この家に物資がたくさんあると知った人が、どんな行動をとるのか?

信用したいと言う気持ちもありましたが、1人でも多く家に残った方が良いと言う判断でMちゃんが残る事になりました。

心配です。

でも、明日には弟が帰って来てくれるようで、それまでは頑張ると言ってました!

みんな心配なんだけど、全員が残るわけにもいかず・・・。

その場をあとにしようとした時、犬を抱っこしたお婆ちゃんが、本部まで乗せて行ってくれと。

お婆ちゃんを乗せ、小学校へ向かう。

途中、献花をしたいので、ちょっとだけ海に寄って行くねとお婆ちゃんに伝えたら。

「下ろして・・・海、見たくないの・・・お願い・・・」

俯いて、怯えるように・・・。

お婆ちゃん大丈夫?

「ごめんね・・・海が怖くて・・・」

港の入り口で車を止めた途端、お婆ちゃんは小学校の方へ歩いて行きました。

送って行くからここで待っててね、と伝える間もなく・・・。

この街の方々は、海が大好きでここに住んでいたはずなのに・・・。

そんな海が、こんなにも怖くなるなんて・・・。

心に深く刻まれた恐怖。

きっと、これからは、そんな心のケアが大事になってくる。

僕らが出来る事・・・・。

歌を届ける事・・・。

お婆さん達の心のケアは、どういった方法があるのだろうか・・・。

現地に来て、現実を知る程、僕らが出来る事に限りがある事を知る・・・。

今は、twitterを通し、みんなに現状を伝える事で、関心を持ってもらう事が僕に出来る事。

僕は車に乗り、電波を受信できるようになってから、twitterで呟いた。


やっと繋がったー!支援物資、本部となる避難場所から先に行き渡らないのは、本部にいる人も多いからです。ガソリン足りないです。なによりも先ずはガソリンだと感じました。ガソリンがあれば、物資をとりにいけます。子供達、今は元気です!


バスに乗ってる時間は頭の中の情報を整理する時間。

これから、どんな支援をして行けば良いのか?

何を伝えたら、事の深刻さを伝えられるのか?

テレビで見るのと、現地に来て見るのとでは、全然違う。

きっと、あと2週間もすれば、大震災すら風化されて行く様な気がしてならない。

じゃ?何を伝えて行けば良いのか?

そんな事を考えながら、僕らは宿泊地である盛岡へ向かった。

ドライバーのアツシさんの実家があり、お母さんが住んでるとの事。

約3時間の移動です。

比較的、被害の少ない盛岡。

震度6ー7だと言ってましたが、倒壊してる家屋も殆ど無く、僕らが到着する頃には大通りのアーケード街がネオンでキラキラしてました。

東京でも最近は目にしない派手なネオンが、嬉しかった。

ホテルも予約してもらいマネージャーのクマと同室。

かなり居心地が悪そうだった(笑)

その夜は、みんなで焼き肉を食べお酒を飲み、今後出来そうな事を話しミーティング。

みんな、本気で復興を願ってる。

自分達の手で、少しでも復興の手助けが出来たらって真剣に思ってる。

この時点では、ファンの方達に不必要な心配はさせたくなかったので、被災地に訪れてる事は内緒にしてたんですが、もっと物資が必要である事や、これからは 個人の手助けが必要になっていく事などを考慮し、みんなにもリアリティーを届けたい、そして考える場を作って欲しいと言う願いを込め、被災地に来てる事を twitterにて伝えました。

そうしたら意外にも、心配すると言うよりは、やっぱり行くと思ってました!頑張って下さい!と、応援の言葉が返ってきまして、なんかホッとしました。

そうだよねー、REDRIBBONや夕張、宮崎口蹄疫と、僕が携った啓発運動を理解してくれて、賛同してくれたみんなだもんなー。

ファンの方達との絆、しっかりと感じられました。

ありがとう。

とにかく、みんな疲れた身体に、スタミナを注入するかのごとく、お肉パワーで充電完了!

そして作戦会議は終了。

ホテルに戻り、布団に入り、一瞬で寝てしまった。


東日本大震災の爪痕-2へ続く。

コメント

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71 ■お疲れ様です&お帰りなさい★

本当にTERU兄らしいなって思いました!
その行動力と人との繋がりを大切にする優しく強い心、素敵だし尊敬します!心から!

私は海の近くに住んでいるし、海に行き眺めているのがとても好きなので、おばあちゃんのお話・・・切なくて涙出てきました。
まだまだ色々な場所で救助や支援を待っている人達の事を思うと心が痛い!でも勇気や元気をもらえます!

今回は本当に改めて、自然って時には心を癒してくれる事もあるけど恐怖を与える事もあるんだと感じています。でも、恐れている暇があるなら自分ができる事やるべき事を考え行動していこうと思います。

上手く伝える事ができなくてゴメンナサイ。
でもこのブログでTERUさんが、一部でも今の現状を伝えてくれた事で改めて色々な事を考えるきっかけになりました。
感謝します。


いつ起こってもおかしくない地震に負けず、これからもGLAYらしい活動をしていってほしいと思います。チャリティーライブがあれば参加し力になりたい!

いつまでもついて行きます!








72 ■感謝…。

TERUさんお疲れ様です。


私の母は大槌出身で、祖母や母の兄弟たちはみんな大槌にいます。

先週、伯母が被災地から東京の病院に入院したとの事で昨日お見舞いにいきました。


伯母から被災地の話を聞かされすごく胸が苦しくなりました。

早く元気な大槌に戻ってほしいと深く思いました。


TERUさんはじめ、大槌まで物資を運んでくれた皆様本当にありがとうございます。

73 ■きてくれて、どうもありがとうございました

TERUさん
宮城にきてくれて本当にありがとうございました。
ニュースでこの震災が取り上げられなくなっても
まだまだたくさんの人がこの災害を乗り越えようと
がんばって生きていることを
気にかけていてもらえると、とても心強いです。
最近はテレビをつけても探さないと震災のニュースを流している番組がない状況がとても残念です。

私の住む町は宮城県南部にあります。
海沿いを走る線路や駅舎は津波で流され
お亡くなりになられた方、家を流された方がたくさんいます。
近所の中学校はまだ避難場所になっています。

私たちはあの日からメールの最後に「がんばろう」という言葉を書き添えて
お互いに勇気づけています。

どうか、早くみんなが元気になれますように。
宮城が落ち着いたら、また元気を与えにきてください。

74 ■TERUさんっ

素敵すぎますっ(´;ω;`)

75 ■すごい!!

TERUさんすごいと思う。
被災された場所に行って、非難している皆さんに会って。
皆きっと喜んでると思う。
あたしもその場所に行くのは無理だけど
節電や募金を心がけようと思う。
被災された人の気持ちになって考えてみよう。
まだ水が出ない所もあれば、物資が届かない所もあり、着るものが無いところもある。それに東北の方は、寒くて雪が降るくらい。非難している皆は寒いのに耐えながら頑張っている。
それをテレビの前で見ている私にとっては逆にだこっちが勇気を貰い、情けない気持ちになりました。
皆一人一人頑張っている。つらいのを押し殺して
笑顔で頑張っている。
だから私も協力をして、少しでも一人一人の力になれるように今、自分ができることをやりたいです。一日笑顔でいることも大事なので、それを活かして自分も笑顔でいようと思います。 



76 ■感謝♪

わたしは大槌出身です。奇跡的に、両親も家も無事でした。

東京にいると、いままでと変わらず生活できています。でも、テレビをみると、被災地の現状がある。何が本当なのか分からなくなります。わたしにとっての現実は、大槌で起こっていること。昔通った道も、思い出の学校も、今は見るに耐えない状態です。

家族、友達に早く会いたいけど、怖くて、なかなか大槌に帰れないよ。

被災地のみんなは、がんばる!!って前向きなんです。わたしも前を向いていきます!

TERUさん、ありがとう。

77 ■泣

TERUさんミカジョンさんそして物資を届けるため集まった方々お疲れ様でした
この行動によって救われた人はたくさんいると思います
上手いこと言葉にできないですけど
見てきた現状を言葉と写真で伝えてくれて改めて考えさせられました

私にもできることを微力ながらにしていきたいです
GLAYでもまた応援していくんだと思うので何か出来ることがあれば協力したいと思います

78 ■ご苦労様でした

お疲れ様でした TERUさんとGLAYは おごらず 謙虚で 情が深いところが変わらないですね


だから いつまでたっても カラオケで 歌っちゃうんだよなぁ
自分の立場で できる事を 日常を大切にして静かに 継続して やっていきます。


ご苦労様でした。

79 ■ありがとうございます

おれは北陸地方なのですが、もしかしたら来月から、電気の復旧作業に携わるかも知れません

最初に思ったことは、GLAYファンでよかったと泣いてしまいました
実は、GLAY MOBILEのフリー投稿にて、ボランティア活動やチャリティ活動をして欲しいと投稿しました
しかし、後にもう既に寄付されていたことを知り、感動しました

日本中が一丸となって、頑張って復興していきましょう!!

おれも募金をちょくちょくしているし、もし東北の現場に行くことになったら精一杯自分のできることをしてきます!!

被災地のみんなを笑顔にしてきて下さい!!

そしてまた平和な日本にしましょう!!

80 ■TERUさん!

岩手に来て下さってありがとうございます!!!

私もTERUさんとぎゅーしたかったなあ……(´Д`)

81 ■有名だから出来る事。

あると思います。
てるさんだから。GLAYだから。
あたしは、愛知県名古屋市東区に住んでいる23歳女です。
港からは少し遠いです。ですが、普段の非常用物資に加えて増やしました。テレビ越しの被災者の必要なモノを見て。

もし自分が被災したら…
有名、しかも(高校生も言ってましたが)小学生から憧れてたGLAYのメンバーが来てくれたら。
勇気にもなります。

訴えて下さい。
テレビには出ない事が、mixiやTwitterやコロニーな生活。に載ってます。
てるさんだから。GLAYだから。有名な方々だから。

メディアに出ない部分を伝えてあげて下さい。
みんなが見ています。
あたしのおじいちゃんの兄弟も、10日後に連絡が着いた地域でしたm(__)m

82 ■ありがとうございます

大槌町ゎ私の住んでいた町です
いまゎ埼玉で美容師をしています
家族、友達、彼氏、みんなが大槌町にいます

大槌町に行っていただきありがとうございます。
私も向かうつもりです!

テレビの映像など本当に信じられません

だけど、復興に向けて頑張りますね

本当にありがとうございます

83 ■ありがとうございます

TERUさん、岩手県、そして大槌町に来ていただきありがとうございます。

私の旦那の実家は大槌です。たまたま、旦那はおじいさんのお葬式で実家に帰っていました。私も凄くよくしてくれたおじいさんでしたし、大好きな方だったので、仕事終わったら電車で行こうと思っていた矢先、地震、火事、津波…

幸い旦那も、家の人達もみんな逃げて無事でした。 きっと、天国のおじいさんが、みんなのこと守ってくれたのかなって思います。

大槌のみんなも、TERUさんが来てくれて、本当に嬉しかったと思うし、心の支えになったと思います。

若い女の子に久しぶりに笑顔にさせてくれてありがとうございます。

きっと嬉しかったと思いますよ。

私達の住んでいる滝沢村は比較的被害少なかったけれど… 岩手県民、宮城県民、福島県民…心に出来た傷は大きいです。

実際、あの日から内陸に住む私達も暗くなっております。

大槌は本当景色がよくとてもいい所なんですよ。

きっと復興してみせますので応援お願いしますね

84 ■自分自身誉めてます!!

ホントに素晴らしい!!TERUさんの暖かすぎる暑すぎる人間性にただただ脱帽するばかりです。ずっとGLAYファンの自分の目に狂いはなかったと今自分で自分のこと自信が持てました!日々の暮らしだけで精一杯の俺にはTERUさんの足下にも及ばないけれど、今自分に出来る限りの事見つけます!

85 ■ありがとうございます。

私は岩手出身の中学生です。
なんか、言葉をあまり知らないので、 短文になってしまいますが、
本当に岩手にわざわざ来ていただいて、ありがとうございます。
私は奥州市ですが、
本当に嬉しいです。
本当にありがとうございました。

86 ■TERUさん助けて!

TERUさん助けて!

福島県いわき市に私の友達がいます!避難所ではなく障害(下の子が脳性麻痺)のある子供二人と実家に避難しています!

避難所じゃないから物資も水も届いてません!電気も水道もガスも復旧してません!買い物も4時間待って10分しか買い物の時間をもらえないそうです!まともな物も買えてないそうです!今日やっと水を少しとミルクを送りました!でもすぐに無くなります!
いわき市というだけで誰も行ってくれないそうです!でもまだ残ってる人がいるんです!友達のお子さんは障害があるんです!助けてあげて下さい!
お願いします!TERUさん友達を、お子さんを、残ってる人達を、いわき市の人達を助けてあげて下さい!

87 ■本当に有難う御座います

私は赤浜で育ちました。
GLAYは友達が大ファンで、その時覚えました。

私も赤浜に行きたいのですが、足が無い上に仕事があるから暫く我慢です。
私に出来る事は、募金、節電、仕事。
仕事をして、被災地が復興出来る様に、経済を支える一人にならないと。

赤浜小学校に通って、120周年記念式典とかあって、100人前後居た全校生徒で宮沢賢治の『雨ニモ負ケズ』を暗唱したり…。

赤浜は町というか集落という感じなので、毎日赤浜の端から端まで走り回ってましたよ(*^o^*)
ひょうたん島、どうなったかな…。

赤浜の人間はすれ違うと知らない人でも必ず挨拶します。(今もそうなのかな…?)
夏には虎舞のお囃子が聞こえて、冬には早朝からわかめの香りが立ち込めます。
夜はイカ釣りの船が綺麗なんですよ。

人間も暖かくて大好きです。

大好きな土地の人達が、必ず新しい大槌を復興してくれます。

私もくよくよしてないで、被災地の為にも頑張っていきます。

赤浜の写真、嬉しかったです。
有難うございました。

88 ■地震による様々な災害

大きな地震、想定外な津波、原発・・・
2011年3月11日
家(埼玉在住)に1人でいました。たまたま休みの日で、家族はそれぞれ仕事へ。テレビを見ていたら 突然の地震!?今まで感じたことのない大きな揺れと倒れそうなテレビを支えながら座り込む。ガタガタという音、幸いタンスなど倒れず
家の中の被害は本が落ちた程度でした。

テレビから流れる地震と津波の被害に言葉が出ない、ただ驚くばかり。関東の茨城や千葉も被害が大きかったようで・・日に日に分かる危機的状況。不確かな情報にイライラする。誰もが混乱しているのでしょう。崩壊した建物、壊れた車などなど撤去するのに法の壁がありますね。誰の物か、所持する人の許可が必要?行方不明者の捜索は?何から手をつけていけば良いのか。避難所で生活する人への支援は??その避難所は安全?精神的なケアも必要なはず。
赤ちゃんやお年寄りだけでなく、障がい児・者への介助は?支援物資の問題は早く解決してほしいですね。
考え出したらキリがない。全部を出来ないことも分かっています。TERUさんの行動によって少しでも被災された方が勇気づけられたら・・。
去年の12月、仙台のライブに参加した私。あの会場が遺体安置所になっているそうです。複雑な気持ちですが、また東北でライブをして下さいね。また、夏のFCライブも延期して良いと思います。電力問題もありますから。

89 ■ありがとう

私の生まれた・育った街へ行ってくれてありがとう。

ただそれだけ言いたくて。

90 ■無題

TERUさん
大槌へ行って下さってありがとう!私の両親が大槌出身で私も生まれてから少しの間、住んでいました。毎年、お盆休みは大槌の婆ちゃん家へ遊びに行くのが楽しみでした。TERUさんが大槌へ訪れた数日前に私も家族で大槌へ婆ちゃんを探しに行きました。少しでも早く大槌の復興、日本の復興を願い今、自分が出来る事をしようと思いました。

91 ■、

TERUさん、
状況伝えてくれてありがとうございます!


テレビで見るより
生々しくて、
思わず目を背けたくなる文でした。

でもみんな頑張ってるんですね。

TERUさんの気持ち、
届いてると思います。


私も今自分がやれることを。
例え少ししかなくても、やりたいです。

92 ■無題

伝えてくださってありがとう!

93 ■涙涙涙…(;o;)

TERUさん、状況報告ありがとうございます。やっぱりTERUさんは私達の誇りです!! こんな状況の中、すぐに行動に移せるなんて本当にすごいです!!
この文章を見て、すごく考えさせられました。支援物資の現状はこんな事になってるのか…とかまだ海水がひかない街がある…とか。現場に行ってしか分からない事がたくさんあると思うので現状を伝えてくれる方は必要だと思います。
チャリティーライヴ、行けたら行きたいです!

私も東北の方々に少しでも役に立ちたいと思います。

お疲れ様でした。。

94 ■ありがとうございます!

大槌まで支援物資を届けて頂きありがとうございますm(_ _)m私にとっても色々な思い出のある大槌なので、TERUさんが来てくれて大槌の方々を励ましてくれて嬉しいです!
私も会いたかったってちょっと思ったけど(^w^)

私は宮古市なので支援物資は割りと届いてるようですし、復興に向けて割りと進んでいると思いますが、一部の集落ではまだまだ大変みたいです(>_<)
私も少しずつですが被害にあった友人の家の片付けなどを手伝うようにしています。少しでも早く片付けが終わって早く笑顔を取り戻して欲しいです(>_<)

こちらの被害も大変ですが、他の地震や津波の被害にあった地域の方々も肉体的・精神的に疲れていると思います。福島は原発の事もあるので本当に大変だと思います。

TERUさんやGLAYの皆さんの励ましが救いになりますので、大変だと思いますが宜しくお願いしますm(_ _)m

95 ■こんにちわ

blog初めて拝見しました。

現地に行かれる決断をされたこと感服しております。

被災地を見て感じたことを、もっともっと発信してください。

私たちではなく、TERUさんだからこそできる行動のひとつだと思います。

そして歌声を届けて下さい。

96 ■内容の一部に

ブログの一部にもしかしたら誤解される点があるのでは…と思いコメします。

夜の焼き肉やお酒、という部分が人によっては不謹慎、と映るかもしれませんが、TERUさんのラジオを聞いている者としては、外食産業の活性化を、という意味もあると思います。

少しでも東北地方の経済のためになるのであれば、私は悪いことじゃないと思います。TERUさんの優しい気持ちが誤解されると悲しいのでつい書いてしまいました。

チャリティーライブ絶対行きますね!

97 ■感謝です。

わたしの住む、大槌町。

TERUさん、大槌に来てくれてホントにありがとうございます!

わたしはTERUが訪問した大槌町赤浜の、山を越えた隣にある、大槌町吉里吉里(きりきり)に住んでいます。

わたしの親友が小学生の頃からGLAYの熱狂的な大ファンで、その親友からTERUさんが大槌に来てくださったコトを知りました。

ホントに嬉しく思いました。
遠いところ、ありがとうございます!


今回の大津波により、町が町ではない形と残り、悲しみと苦しみだけ、みんなの心にドッと残ってしまっていました。

いまだに行方が分からない方も、まだまだたくさんいます。

亡くなった方ももちろんたくさん。

親友の家族、
同じ教室で勉強した友達、
親戚の子。

もう会えないかと思うと、胸が苦しくて。

ですが、TERUさんがこうして被災した知らない町へ来てくださったコトで、避難所にいたみんなが笑顔になったり、その時間だけでも津波や地震を忘れ、TERUさんと会話や握手をしている姿を想像するだけで、わたしも笑顔になっていました。

これからを考えればもっと大変。
わたしたち、生きてるものが頑張っていかなければなりません。


TERUさん
ありがとうございます(^^)/
またいらして、とゅうのはおかしいかも知れませんが、またいらしてください!
次は会いたいな、と思いました(o・・o)/~

被災地、
大槌町吉里吉里から
GLAYのみなさんを
応援していますっ!!!!!


長々とすみませんでした。
ありがとうございます♪

98 ■私も‘焼肉’について

大震災発生以来、被災してない人の『被災者に対する在り方』について、いろんな方がいろんな角度からコメントされている記事を読んで来ました。

読んでも読んでも答えは出なくて、TERUさんの被災地慰問も「何も言えなかった」というのが最初の感想でした。

まして、物資を運んだ夜に焼肉なんて…。
被災地でおにぎりとパン1コで頑張ってるファンのみんなもこのブログ読んでるのに、って。

日本中が何もかも自粛してたら経済がダメになってしまう事は私も危惧していたのですが、今日のお花見の呟きなど読んで、外食産業の活性化、理解しました!

被災者そっちのけでバカ騒ぎするんじゃない。
被災地を支えながら、その方達の分まで経済を活性化していかないと!

被災地へ行って、TERUさんしか出来ない‘笑顔を引き出せた’こと、今は行って良かったんだと思えます。

私もこれからもずっとGLAYについて行きます(≧∇≦)

GLAYファンであることが、誇らしいです!

関西で頑張ります!

99 ■がんばって!!

実際にその場を見たら、もちろん想像するよりもすさまじいのでしょうが、細かく書いて頂いたお影で私自身もその場にいる感覚で、何かを感じている気分です。
口で言うより、考えるよりすごいのは、本当に実行して行動していることだと思います。
心が大きい証拠です!!
私も辛いことがあって笑顔が出せない日々もあります。
そんな中で曇りのない笑顔を出してあげることが出来るってすごいことですよ!
私は海外に住んでいて、子供3人をつれて20日に里帰り予定でしたが、わざわざ危険な場所には来るなとたくさんの人に言ってもらったおかげでここにとどまっています。
安全ではあるし、私には自分の子供を守る義務もある。
けど自分だけ安全なところにいて申し訳ないという気にさえなってしまいます。
被災地の人々の様子も、物資のことなので人柄が変わてしまった様子ですよね。
そうさせてしまうほどの災害は本当に見えないところまでダメージを残しているんだと思います。
だからこそ、見える「物資」だけじゃなくて、見えない「心」の援助もすごく大切なんですね。
まだまだ先は長く、始まったばかりかもしれませんが、どうか…がんばって!!


100 ■無題

盛岡にもきたんですね!!私は盛岡に生まれ育ち今も盛岡にいます。正直震災直後は停電や食料不足で不安でしたが今は物流も回りはじめ手に入りやすくなっています。またガソリンもいれられるようになりました。でも心に穴があいたような気持ちはなくなりません。私はテレビでしか今は現状をみれませんがテレビにうつる何事もなかったかのように穏やかな海をみるのが今は辛いです。今でも時々思ってしまいます。夢じゃないかと。でも夢じゃない。あの日あの地震がおきた時はまさかこんなことになるなんて思ってなかった。停電になってラジオから得る情報が怖くて亡くなる方の人数が100人規模で増えていって。強い余震も絶え間無く続いて緊急地震速報で携帯が何度もなるたびに怖かった。テレビがついてやっと目で情報を確認した時,明日がみえなかったし明日がくることが怖かった。。でもやっぱり明日はくるし命がある。前を向いていかなきゃなと思っています。大好きな岩手だから大好きなままでいたいし復興して全国に岩手大好きな人増したい!!どんな状況でも岩手にはかわりないから。
でもこんなにも辛いこと
あったんですね(:_;)
東北人魂でのりこえます!絶対!!!!


そして
盛岡にネオンあったんですかf^_^;!?ダメですね(*_*)節電なのに。。(>_<)盛岡の節電呼び掛けます!!!!
テルさんありがとうございます!!!!!!

101 ■無題

初めて。
私は岩手県大槌町出身です。
友達からGLAYが家に来た!
ブログ読めば分かると言われブログを読み
思わずコメントしたくなりました。
写真の船は知り合いの方が直していた船でした。

先日、大槌に帰り
現状を目の当たりにして
言葉を失いました。

メディアの情報とは、全く違うもので
もっと多くの人にこの現状を知ってもらい
今できることをして欲しいです。

私は、今何が出来るか分かりませんが
家の為、大槌町の為に頑張ります。
GLAYにしか出来ないことがあると思います。頑張ってください。

まとまりのコメントで
スミマセン。

102 ■ありがとう

親友の地元が岩手県大槌町です。
幸いご両親は無事でした。しかし自宅は半壊、津波の被害で家は住める状態ではないそうです。
今は避難所にいるそうですが、小さい避難所、それに加えて家が中途半端に残ってる状態の周辺だから気にされないのか、報道もされないし、物資も届かないみたいと言っていました。
何か出来ることはないかと日々、考えます。
TERUさんが行ってくれたことを話したら、
本当に?!ありがたいなって感謝していました。
友に変わって言います。ありがとう!!

103 ■ありがとうございます。

大槌は私の父が育った町。
おばあちゃんが住んでいた町。
病気で入院してて、病院は高い場所にあるから大丈夫だろうって、連絡つかなかったけどなんか大丈夫な気がしてた。
でも、亡くなったと連絡がきました。
10カ月の息子を抱っこしてもらいたかったのに…。
私にとっても大事な町、大槌に大変な思いをしてまで元気を届けてくれてありがとうございます。

104 ■すごい

自分らは現地に行く事が出来ないのでいろいろ考えさせられます。

今回の地震では市役所なんかも被害を受けてて、支援物資の制御が出来てないという話もあったので、やっぱりそういう事もあるんだなとわかってよかったです。

105 ■大槌へ、ありがとうございます

私の生まれ故郷大槌町
私の実家は高台にあったためギリギリセーフ
親に電話するといつも元気な声で話してくれます
自衛隊ががんばってくれてるから物資も入って来るようになったとか

でも私の想像以上に辛い思いをしているんだと、その元気な声の裏側を考えると辛くてたまりません。

まだ災害後地元に一度も帰っていません。
帰った所で何が自分に出来るんだ..と毎日自問自答しています。
写真やニュースでみる大槌の町は私の知っている大槌町とはまるで別世界。
メディアからの情報に頼るしかない今、大槌が映るとテレビに釘付け。そのたびに涙が止まりません。
嘘だ
嘘であってほしい
でも現実なんですね
私は大槌人として今の現実を目で見て受け止める必要があるんです。
4月に行こうと思っています。
三陸大津波
その恐ろしさを祖父母に教わり育ちました。

2011.3.11
私たちも次の世代に教えて行かなければならないんです。

そのために、瓦礫の町を自衛隊が行き交う大槌町を自分の目で見て理解する必要があると思いました。

海の町大槌
あの綺麗な大槌の町が、海が大好きです。

いつかかならずまた大槌で、仲間達と語りながら夜な夜な飲み明かすのが夢です。

大槌の人達は元気が取り柄です。
こんな災害の中でも他人を思いやることができる心優しい人がたくさんいます。
でも、今や自分達の力ではどーしようもなく壊滅的な状況。

復興に何年かかるかわかりませんが、テルサンのように全く見知らぬ土地を気にかけてくれる、それを知るだけで元気が出ます。
物資やお金も必要ですが、皆には今目先に見えるほんの少しの希望がたよりなんです。

カップラーメンのおそばに卵一つ入れただけで、それが豪華に思えるのだそうです。

皆に少しでも希望を与えてあげてください。
大槌町は壊滅状態かもしれませんが、一日も早い復興を願って、今頑張って生きているのです。

106 ■私の分も…

私の実家(釜石市)も、津波で流されました。
まわりに散乱してると思っていた我が家の物。
波にさらわれたらしく、何も残ってないそうです。
卒業アルバムなど、思い出の物も
大切な物、何もかも海に持って行かれました。

でも、地震から3日後
命だけは助かったのを確認出来ました。
今は避難所暮らしです。
孤立した集落です。
どこにも負けないくらい、協力し合いとてもチームワークが良いと聞きました。

私は1歳になった子供がいるので
関東から今すぐ実家へ帰る事が出来ません。
毎日両親や祖父母に一目会いたくて、帰りたいという気ばかり焦っています。
早く手伝って、少しでも力になりたいと…
私には、今必要な物とかをこちらから送る事しか出来ません。

107 ■日本

甘いものを食べて
仕事がはかどるなら
ゆるしましょう
文句を言ってくる人ほど
ハグしてあげましょう

108 ■無題

何と言っていいかわなりません、、、とにかく心が痛みました。自分の地元は福島です。テレビで流れることと現実は全く違うなと感じていました。いいことしかテレビは放送できないのかな?ブログを書くことで多くの人に現実を知ってもらうことはいいことですよね。福島県がとてもとても気がかりです。自分が病んでしまいそうになり、、目を剃らせば罪悪感に追われます。早く安心した生活を取り戻してほしいです。

109 ■無題

大槌町に来てくれてありがとうございました!

110 ■ありがとうございます

大槌の様子を知らせて下さってありがとうございます。

うまく言葉にできませんが…

私も今すぐ家族の元に飛んでいきたいです。でもできないからこそ、今ここですべきことをしたいと改めて思いました。

また岩手にきてけだんせ☆

111 ■ありがとう

テルさん、東北に来てくれたんですね。あの日以来、良いニュースがあんまりなかったので、すごく勇気づけられました。
でもまず、自分の事と、ご家族のこと、友達の事を一番に考えてください。そして余裕があったら、私達の友達事を助けてください。
頑張って、絶対に震災前よりも元気な宮城に、東北にしてみせます。そしたら、またライブで会いましょう!その日を楽しみにしています。

112 ■私の心ばかりの義援金、

前回の100万円から考えるとかなり少なく感じると思いますが、長く続けるためにそのつどそのつど無理のない金額設定にさせて頂きます。集計をお手伝いしてくれたり募金活動を影になって全力でお手伝いしてくれた皆様に熱く感謝を申し上げます。色々考えながら今の自分にできることを実際に行動に移している。人としてとっても素敵なことだと思います。自分自身が元気でなければここ一番誰かを助ける事ができない。皆さんも体調管理には十分お気をつけ下さい。

113 ■有難うこざいました。

TERUさん、物資を集めて頂いた皆さん本当に有難うございます。 大槌に赤浜に行ってもらい心から感謝します。

オレも28日~30日までトラックを借り、一人、川崎から大槌に行ってきました。

友人、仕事仲間、隣人の皆さんから沢山の物資が集まり、人の暖かさ、被災地を思う皆さんの心にオレも家族も感謝の思いで一杯でした。

治安があまりよくないと聞いていたので、赤浜小の裏の実家には荷物を置かず、赤浜小に置いて来ました。 

オレが行った時は、赤浜小で炊出している食事を自宅で避難している方々も取りに来ていたりと、団結してやっていると聞きました。
 
赤浜の弁天様の鳥居も灯台も無くなっていたけど、神様を祭る祠はそのまま残っていました。

子供の頃、虎舞をした事思い出し、大槌を見守っていて欲しいと祈らずにはいられませんでした。

今、皆が支え合って乗り越える力を
遠くから復興へ強い気持ちを持って祈っています。

114 ■はじめまして

はじめてコメントさせていただきます
私はTERUさんが来た大槌町赤浜に住んでいます
この記事の2枚目に船の乗った建物の写メがありますが、実はここに住んでいた者です
ここはマンションではなく民宿でした

私はこの民宿の嫁でお義父さんお義母さん旦那さんと7ヶ月になる息子の5人で暮らしていました

家族は全員無事です
TERUさんが赤浜にきたことや家の写メがブログにアップされてることを昨日知り今コメントを書かせてもらってます

まさかこんなにひどい状況になるとは考えず
息子の着替えやおもちゃだけをもって逃げたため車も写真も思い出の品も全て流されてしまいましたが
頑張って生きていこうと思います

また時間があったら赤浜にいらして下さい

そのときはぜひ会いたいです

民宿あかぶ

115 ■ありがとうございます!!

私は大槌町出身です。親・兄弟は無事でしたが、祖母や親戚、親友などはまだ見つかっていません。1週間前に東京から大槌町に行ってきました。昔からGLAYの大ファンで家族で行ったライブの思い出、全ての思い出が津波によって流されていました。現状を見てもまだ受け入れられず、今後どうなっていくのか不安なままです。TERUが大槌に来たという話を聞き、ブログを拝見しました。大槌町に行ってくださってありがとうございました。励まされた人、笑顔をもらった人がたくさんいると思います。私も物資を運びましたが、多くの人の手助けをすることができず心苦しく思っていました。TERUがたくさんの物資を運んでくださって本当に感謝の気持ちでいっぱいで涙が止まりません・・・。私にできることをこれからもやろうと勇気をもらいました。本当にありがとうございました。

116 ■TERUさん、大変おつかれさまでした!

ネットの記事で見つけて、拝見しました。感動して涙をこらえるのに必死です・・・。
ボクは今29歳ですが、高校時代はGLAY一色と言っても過言ではないくらい毎日聴いていました。ライヴもいきましたし、CD・DVDも当然持っています。
そんな憧れの方がこうして被災地へ自ら足を運んでいる姿を見ると、埼玉にいるボクでも勇気付けられます。ましてや、被災地の方々のそれは、もう想像できないくらいでしょう。本当にうれしかったでしょうし、たくさんの希望を持てたはずです。
そんなTERUさんの活動を見て、ボクももっと世の中の役に立ちたいなと思いました。
今では募金くらいしか出来ませんが、これを機にもっともっと震災のことを考え、取るべき行動を取っていきたいです。

蛇足ですが、今朝はたまたま『rare collectives vol.3』を聴いて出勤しました。嬉しい偶然です。

TERUさん、本当にお疲れ様でした。
これからもみんなに元気を与えてください。
でも無理はなさらずにお願いしますね。

117 ■ありがとうございます

初めてブログを拝見させていただきました。
私は、大槌町出身で今は東京に住んでいます。
両親は幸い難を逃れ、自宅避難です。
大槌は、とてもキレイな海と山の里でした。TERUさんにも、その時の大槌町を見ていただきたかったです。
今回のTERU行動に大槌出身者として感謝します。
私たちは、何年かかっても必ず復興します。
大槌出身の若者が力を合わせて、必ず復興に努力しますので
是非、また大槌に足を運んでください。
力を貸してください。
お願いします。

118 ■被災地への思い

TERUさんの被災地の様子の内容読みました!(返事遅くなりごめんなさいね)被災地に行って、TERUさんが、被災者の皆さんに触れ合い、いろいろなこと思ったと思う。TERUさんが現地に行ってきた事は私は被災者の皆さんに会って良かったと思います。GLAYファンの子達にも会えたり、これからTERUさんがみんなに何をしてあげればいいのか?という事が、考えられることができたと思うよ。まだ、被災者で行方不明、GLAYファンで、亡くなってしまった方々に、謹んでお悔やみ申し上げます。

119 ■横のつながり

かなり亀レスですが・・・、

TERUさん、その他救援物資を届けに行ってくださったみなさん、ありがとうございました。

何かをしてあげたい、でも現地に行ってお手伝いをすることはできない私です。
せめて、何か役立つものに使っていただければと心ばかりですが義捐金を募金させていただきました。

半月ほど前ですが、テレビで集まった救援物資が仕分けしきれなかったり、同じものが重複したりで被災地で受け取ってもらえず、
いまだこちらに置きっぱなしになっているものがけっこうあるようです。

ブログのアップから1カ月ちょっと経ったので、
物資が皆さんの許に届いている事を信じたいですが、
自治体同士で「あれあるから渡せるよ、これあったらちょうだい」っていうことはできないのでしょうか?
被災地同士ではそこまで手が、通信状態ができないのであれば国がまとめ役をできないのでしょうか。

このブログを読んで思ったんですが、
ミカジョンさんが仲間を募ったのはtwitterという横のつながり。
市民レベルで出来る事が市・国レベルになるとできなくなるのが不思議です。

まとまりのない駄文、すみませんでした。

120 ■ありがとう

テルさんの大ファンです。二月の埼玉スーパーアリーナ、三列目で見てました!
この記事、涙しながら読みました。
素敵な方です。テルさんがもっともっと大好きになりました。ありがとうございます。応援してます。

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