伊佐大輔のブログ

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自分の気持ちを書いていきます!

30歳の誕生日に、親にカミングアウトをした。

 

正直に言うと、するつもりなんてなかった。
 

親はどうせ先にいなくなるし、自分の人生なんだから、わざわざ言う必要もないと思っていた。

 

でも、なぜかその時は違った。
 

理由なんてない。ただ「今言わないと、このまま一生言わない」と思った。

 

とはいえ、面と向かって言う度胸なんてない。
 

だから手紙で済ませた。

 

逃げたと言われても仕方ないと思う。

 

誕生日は友達と過ごしていたし、直接顔を合わせなくていいタイミングだったのも都合がよかった。

 

数時間後、親からLINEが来た。
 

「お前の人生だから、お前が幸せだったらそれでいいよ」

 

正直、思った。
 

テンプレかよって。

 

でも同時に、それ以上何も言われなかったことに安心している自分もいた。

 

否定もされず、深く踏み込まれることもなく、ただ受け流されたような感覚。

 

それでよかったはずなのに、今になって引っかかっている。

 

受け入れるなら、ちゃんと向き合えよって思ってる自分がいる。
 

そしてそれ以上に、
 

「じゃあなんで自分は逃げたんだよ」って、自分に対して思ってる。

 

どうせなら、ちゃんと目を見て、自分の言葉で伝えたかった。

 

でも、もう終わったことだ。

 

ただ一つ言えるのは、これはゴールじゃないってこと。

 

カミングアウトは、一回言って終わりじゃない。
 

ここからどう関わるかの方がよっぽど重要だと思ってる。

 

だから次は逃げない。

 

ちゃんと自分の言葉で、自分の人生を話せるようにしていきたい。

 

みなさんこんにちは♪

 

今日は「生まれ変わってもゲイでいいと思えるか?」について書いてみたいと思います。

 

自分は高校生の頃に、自分がゲイだと気づきました。
 

最初は正直かなり戸惑いました。

 

「普通に生きるなら女性と付き合って結婚しないといけない」
 

そんな風に思い込んで、無理に女性と付き合ったこともありました。

 

でもどこかでずっと違和感があって、心から満たされることはなかった。

 

社会人になって、いろんな人と関わる中で少しずつ考え方が変わっていきました。

 

例えば、YouTubeを開けば
 

ゲイカップルやレズビアンカップルが顔を出して自然に生活を発信していたり、

 

同性同士で結婚式を挙げて、周りから祝福されている姿を見たり。

 

昔の自分が思っていた「普通」って、本当に一つだけじゃなかったんだと気づきました。

 

 

最近ではニュースでもLGBTQに関する話題が取り上げられることが増えて、少しずつだけど社会の認知も広がってきていると感

 

じます。

 

もちろん、まだ生きづらさを感じる場面はある。
 

周りの目を気にしてしまう瞬間もある。

 

それでも――

 

 

あの頃みたいに「隠さなきゃいけない」と思いながら生きるより、
 

今の「自分として生きている感覚」の方が、ずっと自然で、ずっと楽です。

 

だから最近は思うんです。

 

もし生まれ変わったとしても、
 

またゲイでもいいかなって。

 

それは「楽だから」じゃなくて、
 

 

ちゃんと悩んで、迷って、それでも受け入れてきた自分の人生だから。

 

この経験も、この感情も、全部含めて自分だから。

皆さんこんばんは。

今日はこのシリーズの最後として、
「それでも自分らしく生きるということ」について書いていきたいと思います。


ここまで、
本音を話す怖さや、
カミングアウトでの後悔、
そしてよかった瞬間について書いてきました。

正直、簡単なことじゃない。

本音を話せば傷つくこともあるし、
カミングアウトで関係が変わってしまうこともある。

だから、「自分らしく生きる」って言葉は、
きれいごとに聞こえることもある。


それでも思う。

自分らしく生きるって、
何も全部さらけ出すことじゃない。

誰にでも全部話すことでもない。


大事なのは、
**「自分で自分を否定しないこと」**なんだと思う。


周りに合わせて、
本音を隠すことがあってもいい。

言えないことがあってもいい。

無理に強くなる必要もない。


でも、心のどこかでだけは、
「これが自分なんだ」って認めてあげること。

それができるだけで、
少しだけ生きやすくなる気がする。


人はそれぞれ違う。

気づくタイミングも、
受け入れるスピードも、
誰に話すかも全部違う。

正解なんてない。


だからこそ、比べなくていい。

誰かみたいに生きなくていい。


もし今、
本音を言えずに苦しんでいる人がいたら、

無理に変わろうとしなくていい。

少しずつでいい。


そしていつか、
「この人になら話してもいいかもしれない」と思える人に出会えたとき、

そのときはほんの少しだけ、
自分を見せてみてほしい。


自分らしく生きるというのは、

大きなことじゃなくて、
日々の中で少しずつ「自分を認めていくこと」なんだと思う。


完璧じゃなくていい。

迷いながらでもいい。

それでも、自分のままで生きていけばいい。


ここまで読んでくれてありがとうございました。

皆さんこんばんは。

今日は
「カミングアウトしてよかった瞬間」について書いていきたいと思います。


カミングアウトって、怖い。

これまで書いてきたように、
後悔したこともあるし、傷ついたこともある。

だからこそ、簡単にできるものじゃない。


でもその中で、
「話してよかった」と思えた瞬間も確かにある。


それは、
ありのままを受け入れてもらえたとき。

勇気を出して打ち明けたあと、
相手が変わらず接してくれたとき。

それどころか、

「話してくれてありがとう」
そう言ってくれたとき。

その一言で、
張り詰めていたものが一気にほどけた。


もう一つは、
自分を隠さなくてよくなったとき。

今までは言葉を選んで、
無意識にごまかしていた会話。

でも、カミングアウトしたことで、
自然に話せるようになった。

好きな人の話も、
自分の気持ちも、

変に隠さなくていい。

それだけで、すごく楽になった。


そして、

本当の意味で信頼できる関係だと気づけたとき。

カミングアウトは、
相手との関係をはっきりさせるきっかけにもなる。

離れていく人もいれば、
変わらずそばにいてくれる人もいる。

その中で残った人は、
間違いなく大切な存在だと思う。


カミングアウトしてよかったと思える瞬間は、

「特別な出来事」じゃなくて、
日常の中の小さな安心だったりする。


もちろん、無理にする必要はない。

言わない選択も、ちゃんと正解。

でももし、
「この人には知ってほしい」と思える相手がいるなら、

その一歩は、
きっと自分にとって意味のあるものになると思う。


カミングアウトは怖い。

でもその先には、
少しだけ楽になれる自分がいるかもしれない。


皆さんは、
カミングアウトしてよかったと思えた瞬間はありますか?

皆さんこんばんは。

今日は
「カミングアウトして後悔したこと」について書いていきたいと思います。


カミングアウトって、勇気がいる。

「この人なら大丈夫」
そう思って打ち明ける。

でも、すべてがうまくいくとは限らない。


自分が後悔したと感じる瞬間は、正直ある。

それは、
相手を信じすぎてしまったとき。

自分にとっては大事な話でも、
相手にとっては“軽い話”として扱われてしまうことがある。

気づいたら、他の人に話されていたり、
冗談っぽく扱われていたり。

そのとき思う。

「あ、この人には早かったな」って。


もう一つは、
相手の反応が想像と違ったとき。

否定されたわけじゃない。
でも、どこか距離を感じる。

今までと同じように接してくれているけど、
どこか壁ができたような気がする。

その小さな違和感が、すごく大きく感じる。


そして一番きついのは、

自分が傷つくとわかっていながら話してしまったとき。

「もしかしたら大丈夫かも」
その期待にかけてしまった結果、傷つく。

あのとき言わなければよかった——
そう思ったこともある。


でも今は思う。

後悔した経験があるからこそ、
「誰に話すか」をちゃんと考えるようになった。

カミングアウトは、
誰にでもするものじゃない。

信頼できる人に、
タイミングを見て、自分のペースでするもの。


だから、後悔=失敗じゃない。

むしろ、
自分を守るために必要な経験だったのかもしれない。


無理に話さなくていい。

言わない選択も、ちゃんと正解。

でももし話すなら、
「この人なら大丈夫」と思える人に。

そして何より、
自分自身が「話してもいい」と思えるタイミングで。


皆さんは、
カミングアウトして後悔したことはありますか?

皆さんこんばんは。

今日は
「カミングアウトと信頼の関係」について書いていきたいと思います。


カミングアウトって、
ただ事実を伝えることじゃないと思う。

「自分の大事な一部を相手に預けること」
それがカミングアウトなんだと思う。


例えば、
「自分は同性が好きです」と伝えること。

言葉にするとシンプルだけど、
その中には不安や葛藤、これまでの経験が詰まっている。

だからこそ、それを誰かに話すのは簡単なことじゃない。


じゃあ、なぜカミングアウトをするのか。

それはきっと、
「この人なら受け入れてくれるかもしれない」
そう思えるからだと思う。

つまりカミングアウトは、
相手を信じているからこそできる行動。


でも同時に、リスクもある。

もし否定されたらどうしよう。
距離を置かれたらどうしよう。
今の関係が壊れてしまったらどうしよう。

そう思うと、なかなか踏み出せない。


実際、カミングアウトをして
関係が良くなることもあれば、
逆に距離ができてしまうこともある。

だからこそ難しい。


でも、自分は思う。

カミングアウトは、
「信頼を試すもの」ではなくて、
「信頼があるからこそできるもの」だと。


無理にする必要はないと思う。

タイミングも、人も、全部自分で決めていい。

ただ、もし
「この人には本当の自分を知ってほしい」と思える相手がいるなら、

それはもう、信頼が生まれている証拠なんだと思う。


本音を話すのも、
カミングアウトするのも、

どちらもすごく勇気がいること。

でもその先には、
「本当の意味で繋がれる関係」があるのかもしれない。


皆さんには、
本当の自分を見せられる相手はいますか?

皆さんこんばんは。

今日は
「本音を話すのが怖い理由」について書いていきたいと思います。


本音って、本当は誰かに聞いてほしいものだと思う。

でも同時に、すごく怖いものでもある。

なぜ怖いのか。

自分なりに考えてみた。


一つ目は、否定されるかもしれないから。

自分の考えや気持ちを話したときに、
「それは違う」とか「理解できない」と言われたらどうしよう。

そう思うと、言葉を飲み込んでしまう。

特に、自分にとって大事なことほど、
否定されたときのダメージは大きい。


二つ目は、嫌われるかもしれないから。

本音を話したことで、相手との関係が変わってしまうかもしれない。

今まで普通に接してくれていたのに、
距離を置かれるかもしれない。

そう思うと、「今の関係を壊したくない」という気持ちが勝ってしまう。


三つ目は、自分自身を受け入れきれていないから。

実はこれが一番大きいのかもしれない。

自分の中でまだ整理できていないこと、
認めきれていないことは、
人に話すことがとても難しい。

「これが自分だ」と言い切れるほど、
自信が持てていないから。


そして最後に思うのは、

本音を話すということは、
「自分をそのまま相手に見せること」なんだと思う。

だから怖い。

でも逆に言えば——

本音を受け入れてもらえたとき、
その関係はすごく強いものになる。


無理に話す必要はないと思う。

でも、少しずつでもいいから、
「この人なら大丈夫かもしれない」と思える相手に出会えたら、

そのときは、ほんの少しだけ本音を話してみてもいいのかもしれない。


皆さんは、本音を話せていますか?

皆さんこんばんは。

今日は
「本音で話せる友人がいるか?」について書いていきたいと思います。

自分は小学校の頃、勉強がとても苦手でした。
小学6年生のとき、転任してきた先生の勧めで「知能検査」を受けました。

その結果、自分には軽度の知的障害があるとわかりました。

当時、親友と呼べる友人が1人いました。
その友人に勇気を出してこのことを打ち明けました。

するとその友人は、こう言ってくれました。

「俺はお前に障害があろうが、なんだろうが関係ない」

その言葉が本当に嬉しくて、今でも忘れられません。


中学生になると、特別支援教室に通うようになりました。

最初は「自分は周りと違うんだ」と受け入れるのがつらかったです。
でも次第に、「障害があっても自分は自分のままでいい」と思えるようになりました。


高校は沖縄県中部にある全寮制の特別支援学校に進学しました。

親元を離れる不安もありましたが、先輩たちはとても優しく、
気づけばその不安もなくなっていきました。

そんな中で、自分の中にある“もう一つの本音”に気づく出来事がありました。

最初は何も意識していなかったのに、
先輩や友人との出来事をきっかけに、
少しずつ「自分は男性にも惹かれるんだ」と感じるようになりました。


でも、この話は今まで誰にも話していません。

親友にも話していません。

なぜなら——
引かれるかもしれない。
嫌われるかもしれない。

そう思ってしまうからです。


小学生の頃、
「障害があっても関係ない」と言ってくれた友人がいました。

でも今の自分は、
“本当の自分のすべて”を話せているわけではありません。


皆さんには、どんなことでも話せる友人はいますか?

自分はまだ、そこまで本音をさらけ出せる相手には出会えていません。

でも、いつか——
何も隠さずに話せる人に出会えたらいいなと思っています。

皆さんこんばんは。
 

今日も更新していきます。

 

今日は、「なぜLGBTQが生まれるのか?」というテーマについて書いてみたいと思います。

これはあくまで自分自身の考えであり、
誰かの意見を否定するつもりはありません。

 

皆さんはどう思いますか?

LGBTQはなぜ生まれるのか。

自分の答えはシンプルです。
**「わからない」**ということ。

 

自分自身も当事者です。
だからこそ、立場を守るための意見だと思われるかもしれません。

でも、正直に言うと——
自分も「いつからそうだったのか」はわかりません。

高校のとき、男の友人とキスをしたことがきっかけで、
同性を意識するようになりました。

つまり、生まれたときから強く自覚していたわけではなく、
成長していく中で「気づいた」という感覚に近いです。

一方で、友人の中には
女性と結婚していながら男性とも付き合っている人もいます。

人によって本当に違う。

だからこそ思います。

LGBTQがなぜ生まれるのか——
それは、誰にもはっきりとはわからないし、
もしかしたら一つの答えが出るものではないのかもしれません。

でも、ひとつ言えるのは、
それぞれにそれぞれの気づき方や形があるということ。

「こうだからこうなる」と簡単に言えるものではなくて、
もっと自然で、もっと個人的なものなんだと思います。

みなさんこんばんは♪


今日は「理想のデート」について書いていきます。


俺は、特別なことがしたいわけじゃない。

ただ、普通に男女カップルみたいにデートがしたい。


一緒に出かけて、

何気ない瞬間を写真に撮って、

それをSNSにあげて、「楽しかったね」って笑い合う。


本当は、それだけでいい。


でも現実は、そうじゃない。


周りの目が気になって、手を繋ぐこともできない。

人目を避けて、ヒソヒソ話すように会話する。


誰かに見られてないか、

変に思われてないか、

そんなことばかり気にしてしまう。


デートのはずなのに、どこか気が休まらない。


毎回思う。


なんで、好きな人と一緒にいたいだけなのに、

こんなにも気を遣わないといけないんだろうって。


「普通」って、なんなんだろう。


誰かにとって当たり前にできることが、

自分たちにとっては難しい。


それでも、いつか。

周りを気にせず、堂々と隣を歩ける日が来たらいいなって思う。


手を繋いで、笑って、

何も隠さずに「好きな人」と過ごせる日。


それが、俺の理想のデートです。




もう少し「強め」にもできるし、「希望寄り」にも振れるけど、どっち寄せたい?