伊佐大輔のブログ

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自分の気持ちを書いていきます!

みなさんこんにちは。


今日は、
“普通にデートできることのありがたさ”
について書きたいと思います。


俺たち当事者は、
どこかで周りの目を気にしながらデートをすることがあります。


例えば、
プリクラを撮る時。


「あーん」ってしながらご飯を食べる時。


男女カップルなら、
当たり前のようにできることでも、
俺たちにとっては周りの視線が気になってしまう瞬間があります。


もちろん、
気にしなければいいのかもしれない。


でも実際は、
周りの反応や視線を無意識に考えてしまう。


ただ好きな人と、
普通に笑って、
普通にデートしたいだけなのに。


“普通”って、
本当はすごくありがたいことなんだなって感じます。



皆さん、こんにちは。

今日は、僕自身が日常の中で「不便だな」「つらいな」と感じることについて、少し書いてみたいと思います。

皆さんにも、普段の生活の中で「なんでこんなに不便なんだろう」と感じることはありますか?

不便に感じることは人それぞれ違います。
でも、LGBTQ当事者だからこそ直面する“生きづらさ”や“不便さ”も、確かに存在しています。

例えば――

  • 万が一の時に、病室へ入れないことがある
  • 一緒に暮らしてきた家を失ってしまう可能性がある
  • 「恋人」として認めてもらえない場面がある
  • デート中、周囲の視線が気になってしまう

今回は、その中でも特に大きな問題だと感じることについて、少し掘り下げて書いてみます。


「結婚できない」という現実

現在の日本では、同性同士の結婚は法的に認められていません。

そのため、異性同士の夫婦であれば自然に守られる権利が、同性カップルには認められないことがあります。

特に大きいのが、相続の問題です。

長い時間を一緒に過ごし、支え合って生きてきたとしても、法律上「家族」として扱われないことで、財産や住まいに関するトラブルが起きてしまう場合があります。

「ただ大切な人と一緒に生きたい」
それだけなのに、現実にはさまざまな壁があるのです。


万が一の時、大切な人に会えないこと

これは当事者にとって、本当に大きな問題だと思っています。

毎日を一緒に過ごしてきた大切な人が、突然事故や病気で危篤状態になってしまった時。

病院によっては、「家族ではない」という理由で面会が認められないケースがあります。

もし最後の瞬間だったとしても、そばに行けない。
声をかけることも、お別れを伝えることもできない。

愛し合っていても、長年一緒にいても、法律上は「他人」とされてしまう――。

これは、当事者でなければなかなか想像しづらい苦しさかもしれません。


僕は、こうした現実を少しでも多くの人に知ってもらえたらと思っています。

特別なことを望んでいるわけではありません。
ただ、「大切な人を大切にできる社会」になってほしい。

そんな思いを込めて、今日は書いてみました。

皆さんこんにちは(」・ω・)


今日は、
「俺たちだって普通にデートしたい」
って話です。


デート中に写真を撮ってSNSへ載せる時の周りの目。


手を繋ぐ時の周りの目。


他にも、気にしなきゃいけないことはたくさんあります。


でも、皆さんは
“周りの視線”を気にしながらデートをしたことがありますか?


男女カップルなら、
当たり前のようにできること。


でも、俺たちにとっては、
その“当たり前”がすごくハードルになる時があります。


ただ普通に、
好きな人と笑って、
手を繋いで、
デートしたいだけなのに。


それすら周りを気にしなきゃいけない現実に、
少し疲れてしまう時があります。


みなさんこんにちは。


今日は、なかなか答えの出ないテーマについて書いていこうと思います。


「ノンケの人が同性を好きになることなんてない」

そう思う人もいるかもしれません。


でも実際は、

当事者の中にも、

最初から“自分は当事者だ”と気づいていた人ばかりではありません。


何かのきっかけで同性を好きになった人もいれば、

昔から同性に惹かれていた人もいる。


恋愛の形や気持ちの変化って、

本当に人それぞれなんだと思います。


異性を好きだった人が、

ある日同性を好きになることもある。


逆に、

同性を好きだった人が異性を好きになることもあるかもしれない。


だからこそ、

「こうだから絶対こう」

と言い切れるものではないのかなと思っています。


恋愛感情って、

理屈だけでは説明できない部分もあるから難しい。


でも、自分の気持ちに嘘をつき続けることも、

きっと苦しいことなんだと思います。

みなさんこんにちは♪


今日は少し、恋愛についての考えを書こうと思います。


もし、自分が好きになった相手がLGBTQ当事者だったら、

皆さんはどんな選択をしますか?


自分は当事者だからこそ、

たとえどれだけ好きになったとしても、

“付き合わない”という選択をすると思います。


もちろん、人を好きになる気持ちは簡単に割り切れるものではありません。


それでも、

相手の将来や現実を考えてしまって、

自分は一歩引いてしまう気がします。


一方で、当事者の中には、

世間体や家族のことを考えて、

異性と付き合い、

自分の気持ちを押し殺したまま結婚するという選択をする人もいます。


その選択は、

簡単に否定できるものではないと思っています。


実際に、その立場にならないと分からない苦しさや葛藤があるからです。


“自分らしく生きる”って、

言葉で言うほど簡単じゃない。


だからこそ、

色んな選択があっていいんじゃないかなと思います。

皆さんこんにちは(」・ω・)


今日は、少し深刻な話をしようと思います。


最近はテレビやSNSでも、LGBTQに関する話題を見かけることが増えてきました。


少しずつ認知されるようになってきて、
「理解が広がってきているのかな」
と思う瞬間もあります。


でも、現実はまだ違うと感じることがあります。


例えば、同性同士で手を繋いで歩いていたり、
街中で軽くスキンシップを取っているだけでも、
周りから変な目で見られているように感じることがあります。


もちろん、気にしなければいいと言われればそれまでかもしれません。


でも、普通に好きな人と歩いて、
普通に恋愛をしているだけなのに、
周りの視線を気にしなければいけない現実は、やっぱり少し苦しいです。


いつになったら、
そんな周りの目を気にせず生きられるんだろう。


いつになったら、
同性婚がこの日本で認められるんだろう。


認知されることも大切。
でも本当に必要なのは、
“安心して生きられる社会”になることなんじゃないかなと思います


皆さんこんにちは。
またまた久しぶりの投稿になりますが、今日は少し今の気持ちを書いてみようと思います。

30代になって、早くも2ヶ月が経ちました。

20代の頃は、30歳になったら一人暮らしをして、隣には彼氏がいて、もっと落ち着いた生活を送っているんだろうなって勝手に想像していました。

でも、現実は思い描いていたものとは少し違っていて。

ふとした時に、
「自分はいつになったら幸せって言えるんだろう」
って考えることがあります。

周りと比べて焦るわけじゃない。
だけど、理想としていた未来に自分が立てていないことに、少しだけ寂しくなる時があります。

それでも、30代はまだ始まったばかり。
これから少しずつでも、自分なりの幸せを見つけていけたらいいなと思っています。


30歳の誕生日に、親にカミングアウトをした。

 

正直に言うと、するつもりなんてなかった。
 

親はどうせ先にいなくなるし、自分の人生なんだから、わざわざ言う必要もないと思っていた。

 

でも、なぜかその時は違った。
 

理由なんてない。ただ「今言わないと、このまま一生言わない」と思った。

 

とはいえ、面と向かって言う度胸なんてない。
 

だから手紙で済ませた。

 

逃げたと言われても仕方ないと思う。

 

誕生日は友達と過ごしていたし、直接顔を合わせなくていいタイミングだったのも都合がよかった。

 

数時間後、親からLINEが来た。
 

「お前の人生だから、お前が幸せだったらそれでいいよ」

 

正直、思った。
 

テンプレかよって。

 

でも同時に、それ以上何も言われなかったことに安心している自分もいた。

 

否定もされず、深く踏み込まれることもなく、ただ受け流されたような感覚。

 

それでよかったはずなのに、今になって引っかかっている。

 

受け入れるなら、ちゃんと向き合えよって思ってる自分がいる。
 

そしてそれ以上に、
 

「じゃあなんで自分は逃げたんだよ」って、自分に対して思ってる。

 

どうせなら、ちゃんと目を見て、自分の言葉で伝えたかった。

 

でも、もう終わったことだ。

 

ただ一つ言えるのは、これはゴールじゃないってこと。

 

カミングアウトは、一回言って終わりじゃない。
 

ここからどう関わるかの方がよっぽど重要だと思ってる。

 

だから次は逃げない。

 

ちゃんと自分の言葉で、自分の人生を話せるようにしていきたい。

 

みなさんこんにちは♪

 

今日は「生まれ変わってもゲイでいいと思えるか?」について書いてみたいと思います。

 

自分は高校生の頃に、自分がゲイだと気づきました。
 

最初は正直かなり戸惑いました。

 

「普通に生きるなら女性と付き合って結婚しないといけない」
 

そんな風に思い込んで、無理に女性と付き合ったこともありました。

 

でもどこかでずっと違和感があって、心から満たされることはなかった。

 

社会人になって、いろんな人と関わる中で少しずつ考え方が変わっていきました。

 

例えば、YouTubeを開けば
 

ゲイカップルやレズビアンカップルが顔を出して自然に生活を発信していたり、

 

同性同士で結婚式を挙げて、周りから祝福されている姿を見たり。

 

昔の自分が思っていた「普通」って、本当に一つだけじゃなかったんだと気づきました。

 

 

最近ではニュースでもLGBTQに関する話題が取り上げられることが増えて、少しずつだけど社会の認知も広がってきていると感

 

じます。

 

もちろん、まだ生きづらさを感じる場面はある。
 

周りの目を気にしてしまう瞬間もある。

 

それでも――

 

 

あの頃みたいに「隠さなきゃいけない」と思いながら生きるより、
 

今の「自分として生きている感覚」の方が、ずっと自然で、ずっと楽です。

 

だから最近は思うんです。

 

もし生まれ変わったとしても、
 

またゲイでもいいかなって。

 

それは「楽だから」じゃなくて、
 

 

ちゃんと悩んで、迷って、それでも受け入れてきた自分の人生だから。

 

この経験も、この感情も、全部含めて自分だから。

皆さんこんばんは。

今日はこのシリーズの最後として、
「それでも自分らしく生きるということ」について書いていきたいと思います。


ここまで、
本音を話す怖さや、
カミングアウトでの後悔、
そしてよかった瞬間について書いてきました。

正直、簡単なことじゃない。

本音を話せば傷つくこともあるし、
カミングアウトで関係が変わってしまうこともある。

だから、「自分らしく生きる」って言葉は、
きれいごとに聞こえることもある。


それでも思う。

自分らしく生きるって、
何も全部さらけ出すことじゃない。

誰にでも全部話すことでもない。


大事なのは、
**「自分で自分を否定しないこと」**なんだと思う。


周りに合わせて、
本音を隠すことがあってもいい。

言えないことがあってもいい。

無理に強くなる必要もない。


でも、心のどこかでだけは、
「これが自分なんだ」って認めてあげること。

それができるだけで、
少しだけ生きやすくなる気がする。


人はそれぞれ違う。

気づくタイミングも、
受け入れるスピードも、
誰に話すかも全部違う。

正解なんてない。


だからこそ、比べなくていい。

誰かみたいに生きなくていい。


もし今、
本音を言えずに苦しんでいる人がいたら、

無理に変わろうとしなくていい。

少しずつでいい。


そしていつか、
「この人になら話してもいいかもしれない」と思える人に出会えたとき、

そのときはほんの少しだけ、
自分を見せてみてほしい。


自分らしく生きるというのは、

大きなことじゃなくて、
日々の中で少しずつ「自分を認めていくこと」なんだと思う。


完璧じゃなくていい。

迷いながらでもいい。

それでも、自分のままで生きていけばいい。


ここまで読んでくれてありがとうございました。