暑さの厳しい中でしたが妻の従兄弟夫婦が訪ねてきました。
妻は従兄弟に是非伝えて置きたいことがある
と言うことで招きました。
伝えて置きたいことと言うのは
従兄弟の祖父で妻の大伯父になる
宇野 海作のこしでした。
宇野 海作(1879-1951年)は弘前中学卒業後
早稲田専門学校を中退し単身渡米し、
帰国後は中国に渡り上海の東亜同文学院を卒業。
通訳をしましたが軍事探偵だったと言う説があり、
孫文や蒋介石とも交流があり「軍探」と言われただけに
自分の過去を語ることはしなかったようです。
海作の妹で妻の祖母が残した写真を見る末裔たちです。
妻は祖母から海作のことを良く聞かされていたので、
元気な内にとそれを従兄弟夫婦にレクチャーしていました。
海作は2度渡米していますが、
1911年にはワシントン州に移住しています。
夕方になり近所の台湾料理「福亭」に出掛けました。
福亭の料理は味付けも美味しく、
食事を楽しみながらここでも2時間近く
話しに花が咲きました。